実写版ドラゴンボールに関する誤解をとく試み
■呪いをといてしんぜよう。
ドラゴンボール実写版、各所で批判やらなにやらが渦巻いているので、ここらで憑き物おとしをしてみようと思う。
なぜ、実写版はあんなことになってしまったのか?簡単だ、実写版のスタッフは、ものすごくまじめに日本のファンのために、実写版を作ったからだ。ここで怒る方もいるだろう、ハァ?何言ってんの?悟空は高校生だし、なんかもういろいろ設定無視だし!
いやいや、映画に使われたエピソードは、全部ちゃんと原作にもあるんですよ。ほら、リメイク版のほう。
■ドラゴンボールは同じ作家によってリメイクされている説
おそらく『ドラゴンボール』を読んだ脚本チームは、一本のつながった物語とは思えなかったはずだ。週刊連載ならではの後付設定、つじつまあわせ、ご都合主義の展開、そして数世代にわたる物語。これは一つのコンテンツをリメイクしているのだ! と誤解したとしても、仕方がないことだ。
なぜこんな誤解が生まれてしまったのか? それは、いわゆるアメリカにおける「ヒーローが出てくるマンガ」の歴史に触れなければならないが、まあ詳しいところは詳しい人が書いてくれるだろう。簡単に言えば、あっちはヒーローのリメイクが頻繁に行われているということだ。バットマンのダークナイトが良い例だけど、スパイダーマンも生まれ変わったし、他のキャラクターも何度も最初のエピソードを時代に合わせて語りなおしている。それに、そもそも息子に名前を譲ったりなど、二代目三代目と代替わりしていくのもアメコミでは普通のこと。読者が代替わりしても、最初から続くエピソードを延々やっている日本のマンガのやり方が、珍しいのである。
つまり、悟飯のエピソードは「若者向けに語りなおされた悟空の誕生エピソード」だと誤解された、というわけだ。
そのうえで名前を悟空にしたり、設定を混ぜ合わせることで「古いバージョンのエピソードも織り込んで、こりゃマニアも満足だぞう」と、製作陣は思ったのではないだろうか。
そう考えるとピッコロの部下がマイという名前なのも、納得できる。つまり脚本チームから見れば同じような顔の悪役「ピラフ」と「ピッコロ」は、同じ悪役をリメイクしたキャラクターとして扱われたってことなのだ!
ピラフ。顔色が悪く、三白眼で、毛がない。胸に漢字。
ピッコロ。顔色が悪く、三白眼で、毛がない。胸に漢字。
おいおい、怒るなよ、じゃあお前グリーンランタンの二代目と三代目見分けつくのかよ! これを見て「なるほど、子供向けに作られた初期エピソードの敵役であるピラフを、格好良く悪い奴としてリメイクしたんだな?」と思うのは、仕方のないことではないか?
たとえばバットマンはこのように変化した。
60年代にテレビシリーズ化されたときのバットマンとロビン
90年代に映画化されたときのバットマンとロビン(とバットガール)
これは怒ったりバカにしたり、といったことで解決できる問題ではない。異なる文化同士の衝突として、考察すべき問題なのだ。
■でも……でも他に作りようがあったでしょ!
もちろん、映画としては残念なことがある。下敷きに古典的なカンフー映画を持ってきたことだ。
ドラゴンボール、実はカンフー映画よりも、もっと下敷きにするべきフォーマットがあるのだ。
それは、80年代から90年代にかけての、くらーいアメコミである。キャラクターの多くが宇宙人であるという設定は連載中に作り出された後付け設定だが、そのおかげで原作における悟空の出生エピソードはスーパーマンをそのまま下敷きにできた。つまり、帰るべき故郷を失った戦闘民族、というくらーいアメコミ好きにはたまらない設定である(実際日本で作られる劇場版はこの設定を活かしたものが多い)。
というわけで、アメコミの「復活フォーマット」で書いてみた。
『ドラゴンボールリターン』 あらすじ
かつて、地球を何度も守ったスーパーヒーロー悟空。
いま彼は、妻であるチチとの間に子をもうけ、普通のサラリーマンになろうと奮闘していた。だが、普通のサラリーマンになるには、悟空は天然過ぎた。一生懸命標準語を学んでも訛ってしまう。上司には嫌味を言われ、同僚には笑われ、やがて愛想笑いが身についた。
夕陽の落ちる住宅街に、車で帰宅する悟空。
すっかり乗らなくなり、ガレージに放置してある筋斗雲に手をかける悟空、だがその手は筋斗雲をすり抜ける。やがて見えなくなってしまう筋斗雲。
「もう、オレを乗せてはくれないんだな……」
しかし、かつて戦い改心した緑の肌を持つ宇宙人「ピッコロ」や、共に修行したカンフーの達人「クリリン」らは、各地で悪人と戦っていた。
彼らの活躍するニュースを見るたびに、悟空のこぶしはうずくのだが、わが子を危険な目に遭わせたくないチチは、そんなニュースが流れるたび、テレビのチャンネルを変えてしまうのだった。
そんなある日、砂漠にUFOが墜落する。球形のUFOから現れ、調査に訪れた軍隊をなぎ払う黒髪の宇宙人、その姿は悟空にそっくり。
ひょんなことからCIAのエージェントになっていたヤムチャは、悟空を思い出し、家を訪ねる。
極秘と書かれたビデオを悟空に見せるヤムチャ。砂漠へ迎撃に向かい、倒れるかつての仲間たち。
それでも立ち上がらない悟空を見限り、去っていくヤムチャ。
だが悟空が立ち上がらなかったのは、宇宙人を恐れたからではなかった。
見た瞬間にわかったのだ、砂漠に落ちたUFOの形、あらわれた宇宙人の姿、あれは……同胞だ。
滅びたはずの母星に、生き残りがいたのだ。
苦悶の末、妻に告白する悟空。
「オレは……人殺し宇宙人の末裔なんだ」
自らの呪われた出自、血塗られた戦闘民族の血を消すために、悟空は戦いに行かねばならない。
そんな悟空を優しく抱きしめるチチ。
「悟空さの手は汚れてなんかいないねえ! だって…こんなに暖かいもの」
チチにはわかっていた、夫がやがていつか戦いで死ぬだろうということが。いまはただ、その時期を引き延ばしていただけなのだ。
だが、その幸せなときは、終わりを告げた。
眠りから覚めた息子、悟飯がやってくる。
「おとうさん、どこいくの?」
「すぐに帰ってくるからな、お母さんのいうことをよく聞くんだぞ」
にっこり微笑み悟飯の頭をなで、家の外へ出る悟空。
月をにらみ、口笛を吹くと、筋斗雲がやってくる。筋斗雲に飛び乗り、空へ去っていく悟空。ネクタイをはずし、上着を脱ぎ、筋骨隆々とした肉体を月光にさらす。
「ありがとう、チチ、悟飯、オラ……わくわくしてきたぞ!」
わが子を守るために、家族のために、いや、自らを育てた母なる地球のために、戦え悟空!
このあと戦ったり負けたり死んだりするけど、最後はドラゴンボールで生き返ります。
監督はブライアン・シンガーでよろしく!