絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

宗教の勧誘はなぜ怖いのか。

要約:宗教の勧誘は、なぜ断りにくく、かつ怖いのか。そして知人から勧誘を受けた場合は、どのように対応するべきか。

 というわけで宗教勧誘についてのお話。テキストはこれだけど。

今まで創価については半分ネタみたいな感じで聞いてたんだが。
まさか俺にもやって来るとは。
http://www.nyasoku.com/archives/50386914.html

 宗教というのは、人間を救うためにあるはずのものです。ところがその勧誘が無宗教者にとっては怖い、なぜか怖い。宗教側もわかっていて「最初はみんな嫌がるんだよねー」なんてことを言う、怖いの前提かよ。
「最初はみんな怖がるんだけど、よく知ったら怖くないからさ」
「一度偉い人の話を聞いてほしいんだよね、聞けばわかるって!」
みんながこれをやれば世の中良くなると思うんだよね」
 何だこれ、プッシャーか。やればわかっちゃうんだ、こえー。
 何でこうまで言うことが似ているのか。それは、宗教とドラッグは同じものだからです。
 ある程度成長した人間には、それぞれの価値観があります。べつに脳内に「価値観」という領域があるわけではなくて、それまでに見知ったものが価値観を作ってる。
「おれは○○という価値観を持っているので△△が好きだ」
ではなくて
「おれは△△が好きだから、○○という価値観を持っているのだ」
となります。ところがひとは、○○という価値観を持っていると気付いた途端、まるでその価値観が自分を作り上げたように感じてしまう。ふしぎですね。まあ、ともあれ、経験がそのひとを形作るというわけです。
 だから、宗教もドラッグも「一度集会に来て(ドラッグをやって)みてよ」と勧誘するのです、ひでえ。
 でも、それらには本当にひとの価値観を一変させる力があります。宗教やドラッグが他の趣味と違うのはその点です。要約に書いた通り、価値観なんてものは環境によっていくらでも改変されるのです。
 たとえばお金持ちのボンボンがテレビでアフリカの難民を見て突然政治意識に目覚めたりする。ここには「裕福な環境」で「政治に無関心」だった若者の価値観が「アフリカの難民が苦しんでいる」というドラッグで改変されるさまが記されております(何で金持ちかというと、裕福な方が環境の変化に適応しやすいからです)。
 問題は、書き換えたあとで消去できない価値観が、この世界には存在するということです。宗教やドラッグには、こう書いてある。
「この価値観を、書き換えてはならない」
 これをインプットしたひとは強いです、変わらないし疑いませんから。
 では、身近にいるひとが、そのような価値観をあなたに書き込もうとした場合、つまり「勧誘」してきた場合は、どう対応すればいいんでしょうか?
 帰って来たので続きを書きたいのですがすごく眠いので要点だけ書いておきます。
 まず始めにしなければならないこと、それは価値観の書き換えを恐れないことです。かたくなに拒むことは、まったく得策ではありません。

なにジョジョ?ダニーがおもちゃの鉄砲をくわえてはなさない?
ジョジョ、それは無理矢理引き離そうとするからだよ
逆に考えるんだ、「あげちゃってもいいさ」と考えるんだ
ジョジョの奇妙な冒険』4巻 21頁 ジョージ・ジョースター

 続きは明日。

 と書いてから1日経ったわけですが、やっぱ同じテンションでは書けないなあ、というわけで順番にまとめます。あの、宗教に限らず勧誘テクニックなんてマルチもセールスも全部似たようなものですから、とりあえずおぼえておいたら役に立つかもしれませんね。例題は友達が勧誘者の場合です。

  1. 勧誘される。なんとなくそんな雰囲気は感じていても、友達の誘いは断りにくいもの。仕方なく行ったら勧誘だった、というのもよくある話です。とりあえず何を言われてもいきなり反発するのはやめましょう、相手のやる気を刺激するだけです。よくわからないなあ、という顔をしてください。
  2. 質問には素直に答えよう。組織によって違いますけど、被勧誘者が持っている現状の不満を明確にして「その解決法が提供できるのは○○だけ!」と煽るのが勧誘の基本です。だいたい何を答えても勧誘者は「やっぱりね」「そうそう」と答えますので、何を答えてもいいんですが、ウソをつくとそのあとで困ることになります。ウソがバレた場合、それをペナルティとして、対価(集会所に行く、洗剤を買う等)を要求されかねないからです。
  3. 自慢話を聞いてやろう。はい、こっからは勧誘者が属する集団の自慢話の始まりです。入り口は、さっき質問した不満を解消するテクニックの紹介。素人目にも穴のある方法だったり、あきらかなオカルトだったり、本当に意味不明だったりしますが、面白がって「m9(^Д^)プギャー」とならないように気をつけて、ちょっと。さいごは、教祖がすごいとか、誰それも信者だとか、どうでもいいことばかりになりますので、その辺になったら少し退屈そうな顔をしてください。
  4. 質問をしよう。前項で紹介された「不満を解消するテクニック」について、批判ではなく質問をしてください。そして「詳しいことは偉い奴に聞け」と言う勧誘者を、ここぞとばかりに批判してください。曰く「友人は信用できてもその指導者は信用できない、お前はおれが突然○○の教祖を連れてきたらその話を聞くのか」「お前とじっくり話したいのだ、これからも機会をつくってお前と会いたい」「おれはお前が好きだから、お前の好きなものを深く知りたいのだ、お前の言葉で」等。これは相手のテクニック「友人の好きなものを嫌いなんて言う奴は友人じゃない」を逆手にとった対応です。また「一度体験すれば絶対にわかる」を連発する友人には「お前がそれをやるんだ、さあ!」と返してください。
  5. 再会時に詳しいひとが来ます。もし再会することになった場合は、これはもう確実に来ます。詳しいひとの2〜3をやり過ごしたら、その詳しいひとに「どうしておれの友達を信用してくれないんだ」と訴えてみましょう。あなたはとにかく、友人のオススメするものをよりよく知りたいわけです、友人の言葉で。ここまで来れば友人はかなり面倒くさくなっているはずです。
  6. ダメ押し。週に一回は、友人に「あのことをまた教えてくれないか」と連絡してみましょう。いいですか、引いてはダメです、あげちゃってもいいさ、と考えるんです。そのうちあっちから連絡が来なくなりますので、適当に打ち切ってください。

 そのあと普通の友人関係を続けるもよし、連絡がなければそれでおわりです。(5と6は実行しないでください、一度目にだまされて会ってしまったら、二度目は会わないこと、一度目に勧誘だとわかったら、会わないこと)
 
おわりに
 宗教の勧誘はなぜ怖いのか。
 勧誘者は恐ろしい闇の中で光を見つけました、燃え上がるたいまつは勧誘者を救いました。だからこそ友人であるあなたにはそのたいまつの火をわけてあげたい、そう勧誘者は考えます(まあ他にも色々ありますがここはそう考えてください)。しかしあなたは暗視スコープをつけていて、暗闇が怖くはないのです。
 暗視スコープをつけたあなたには、たいまつの火が不要ですね。それどころではなく、暗視スコープの前でたいまつは邪魔にしかなりません。だから、勧誘する者の気持ちが理解できず、怖く、迷惑に思うのです。しかし、その感覚は、たいまつを持った勧誘者には理解できません。なぜならたいまつの火は明るすぎて、暗視スコープが必要ないくらい輝いているから。
 あなたが宗教の信者が持つ視野の狭さを怖く思うように、暗闇の中でたいまつもつかわずに歩くあなたも、勧誘する者からは恐れられているのだ、ということに自覚的でいてください。
 そして、一番気をつけなければならないことは、自分の信念を妄信することです。
 自分は唯物論者だから非科学的な話は信じない?
 自分は無神論者だから宗教には入らない?
 違います。非科学的な話は、論理的なスジが通らないから信じられないんです。宗教には、入るメリットがないから入らないんです。ただそれだけです。信念は変わらないという信念を持ち続ける限り、違う信念の持ち主とは争うことしかできない。自分の信念がゆらぐことに対して悲鳴をあげるだけでは、勧誘するひとと、何もかわりません。仮にキリストが再臨したなら、ひれ伏すことなくその循環系と浮遊の原理を推理するだろう科学者のように*1、思考することをやめないでください。

*1:うろおぼえですけど、作家の山本弘さんの言葉です