絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

自我の拡散に対する恐怖と興奮/メモ

最近はてなで話題になっていた、著作権に関する話題
参照
id:hkt_o:20041215
id:kowagari:20041215
自分がいなくなる、無価値になる、必要とされなくなる恐怖とはいかなるものか

 拡散し、浸透し、影響を残す存在
 遺伝子は変異せず、ただ模倣子がコピーを生み続ける。
 リミックスではない、カバーバージョンが量産される。
 オリジナルは消えうせ、シミュラクラが大通りを歩く。
 俺が望んでいたのは変異種の誕生だ。
 オリジナルを食い殺す、獣の鈎爪だ。
 魔法使いが死んでから、屍骸を蹴倒す王様じゃない。
 そして過去を知る者が消え、真実は闇の中。
 誰も、なぜそのシステムが稼動するのか知らないまま、エンジンは動き続ける。

 魔法使いの杖とマントは、腐るまで使い古される。
 むかしは、ぼくも怖かった。考えたことが誰かの手で作られて、そこにぼくの名前がないことに、恐怖を感じた。もちろん仕事上の不利益も被ったけど、一番の問題は恐怖だ。ぼくの脳みそが、別の誰かに利用される恐怖。だけど考えてみたまえよ、何千人が金を払うものの、根幹を考えたのはぼくだと、ぼくと数人の仲間は知っている。
 これは気持ちいいぜ、ざまあみろ、という気分だ。
 ほんとうは金銭的に報われなきゃいけないから、これからは権利も考えなきゃいけないんだけど、それはここで話すことじゃない。ぼくは、ぼくの考えたことが、誰かのくちはしにのぼるのをおもって、くだらないことを書くよ。