絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

北村ゴジラ、見ましたよ日記

 すごく重要なことを最初に書くよ、ぼくはこれ大好き。『プラン9フロムアウタースペース』と同じくらい好き。というわけで感想です。一緒に観に行ったid:samurai_kung_fu:20041214氏とid:throwS:20041213氏の感想もあわせてどうぞ!
 北村監督最新作、相変わらず長かった、ケツが痛いです。今回も『あずみ』の時と同じで、いつまでも終わらない終わらない、しかもどこで終わってもあまり問題がないのに終わらない。あまつさえ何の描写もされていないキャラクターが最後を締めておしまい。
 これはまあ怒るひとは怒る、かなり怒る。だって映画を観に来たのに、映画のダイジェストを五本分くらいグッチャグチャに編集して二時間オーバーも見せられたら、普通は頭にくる。
 でも怒っちゃダメだ、こういうものですから。
 北村監督作品には、大きい三つの映像的特徴があります。

  • フレームが動かない、動くときは特殊な動き方をする。
  • アクションシーンはコマを抜いてるから安く見える、バンクが多い。
  • 人物レイアウトが常に横位置。立体配置ができない(画面内で別の場所に移動しない)。

 これは何か。80年代のアニメだと、ぼくは思うのですよ。OVA初期のアニメは、ほとんどこんなだった。出てくるサングラスの大男は必ずシュワルツェネッガーに似ていた、当時『ターミネーター』が流行したからだ。同じように、ドン・フライの艦長は『マトリックス』のモーフィアスだ、日本刀にコートで高速道路に立っていたしね。横転した車の上に。そういう臆面のないパクリ、引用、中身のない薄っぺらな人物造形。推測するに、あまり表には出さないが、北村監督はかなり80年代のアニメが好きなのだと思う。
 というか、アニメしか観ていないのではないだろうか。
 そんなことを、映画冒頭、ゴジラを凍らせたあとの轟天号艦内で喜ぶクルーを見て思った。だって『トップをねらえ!』みたいなんだもの、アレ。
 そういう視点で見ると、あれは面白いです。中学生に数億円あげたら作った映画、という感じ。でも本人は世界に通用する映画を作ったと思ってるの。だって世界各地が出てくるからな!金髪女も出したし!英語で喋ってるし!(吹き替えだけど!)

カメラを手にした中学生に莫大な予算を与えたような、正に麻草師悶絶映画でしたよ。(事実、オレの隣で悶絶していた)id:samurai_kung_fu:20041214

 あとはメモなので箇条書き。
映像

  • 見栄切りも、昔のアニメ的で平板なレイアウトが多い。
  • 画面内に三人以上いると、イマジナリーラインが切れる。
  • ロッキーホラーショー』の驚き顔面繰り返しギャグと同じことをシリアスな場面でやっていた。

シナリオ

  • 主要人物すらまともな人物描写がなく、どんな人間だか記号的にしかわからない。
  • あとの登場人物はモブ。昔のアニメに出てきた同じ顔が繰り返し出てくる系。
  • 世界が滅びるレベルの話なのに、出てくるのは防衛軍の上部数人だけ。

 殺される民衆は全部その場限りのキャラ造型。

    • デビルマン』に通じるものがあるのかもしれない。お茶の間ファンタジー
  • シナリオには、五本分くらいのプロットが無秩序に並んでいる。
    • 伏線がなかったり、回収できなかったり、エンディング的カットが何種類もあるのはそういうことだろう。

役者

  • 役者全員に見せ場が用意されている。北村監督の「器」だと思う(後で説明します)。
  • 今回は真ん中で国村隼が「同じ説明を繰り返す」という不思議ターニングポイントがあったので、おそらく客席の大部分はそのときに北村時空に取り込まれたはず。
  • 国村隼の「痛い」は各地で話題沸騰。そりゃ痛いよな。
  • id:throwS師は「いつ裏切るんだろうって気が気じゃなくて」と。
  • 子役が一所懸命で泣ける。
  • もし映画が『ゴジラの息子』だったら主役級だったのにね……。
  • 親父役の泉谷しげるが片足を引きずっていたり等の無駄な細かさが全部無駄(この項問題ありid:screammachine:20041215#p2)。
  • 松岡昌宏の役がブレまくり。演出してやれよ……。
  • 北村一輝好き勝手やりすぎ。演出しなくて正解。
  • 伏線が回収されそうになるシーンで、菊川が強引に「そういうのはどうでもいいのよ!」と叫ぶところで大爆笑。
    • 菊川さんに「頭のいい女」を演じさせるのはもうやめてください。
    • 菊川さんはがんばっていたと思います。
  • 水野さんと姉妹だって判明したときにid:throwS師は「鉄壁じゃん!」と思ったそうだ。何の?火サスの。そう考えてみるとキャスティングが火サス。〓シネだと思ったら火サスでした!「舞台、温泉宿でも問題ないよね」とはid:samurai_kung_fu師談。

監督

  • 思うに北村監督は、頼まれたら断れない性格。
  • おそらく、いろいろな暴挙が、北村監督の中では「器が大きい」って翻訳されていて、ああいう感じになってしまうのだと思う。
  • なんで現場が盛り上がるかというと、好き勝手できるからだ。
  • だからヘタはヘタ、癖のある役者はやりすぎ、ベテランはルーチン演技になる。
  • 松岡氏のインタビューで「監督が顔の角度と表情と目線を決めてくれる」ってのを読んだときは悶絶した。犬コロ振り付けてんじゃねえんだぞ!

その他

  • フランスの防衛艦、艦長が金髪女(フランスだからな!)。
  • ガイガンと美女丸が同じ死に方。

 
 北村監督のよいところは、インタビューなどで垣間見える言い訳が、情けないところだ。「プロデューサーがね…」「みんな頑張ってくれたし…」「リミックスしていくわけですよ…」等、開き直りきれていない。人間的にはちょう苦手だし、映画監督か?という疑問も大いに残るけど、DJ役で出演したシーンに関しては「あれは自分の間抜けさをわかってる」「わかってない」で大論争になるほどに面白い(まあ愛でる対象なわけですが……)。
 いわゆる無意識過剰な匂いがするのだ。彼みたいなバカがいない邦画界は、ずいぶん息苦しいものになる気がする。気のせいかしら(気のせいです)。
 
追記:猛烈な反省
 上記エントリには不見識が含まれています。泉谷しげる氏の演じた役がマタギ的服装をしており、足をひきずっていたことから「足が悪いという設定なのだろう」「だけどそれを表現する場面がない」と推測し「あれは無駄な演出ではないか」と書きましたが、泉谷氏はじっさいに足が悪く、びっこをひいているのは演出ではありませんでした。
 もちろん、映画の中に出てくる身体表現は、どのようなものでもフィクションとしてとらえ、演出の一部であると考えることでしか、映画を見ることはできませんが、あらゆる可能性を想定して、泉谷氏の足が悪いかどうかを調べる労力は、あって然るべきだったのです。
 これはどういうことかというと、乙武氏が手足のない役で出てきて、それが演出上無意味に描かれていると、ぼくは「手足ないの、無駄だったなあ」って言ってしまうということなのです。
 まあもちろん、その映画の中で無駄なものは無駄です。泉谷氏の足が悪いという「表現」を「車に乗るとき手間取る」という場面で使ったのは事実ですから、前言を撤回はしません。
 泉谷しげる氏の出演作をたくさん見て、どのように活かされているかを、よく確認してから、再び考えたいと思います。調べたら、北村監督の『ヒートアフターダーク』にも出てました(未見です)。描ききれなかった、という奴かもしれません。更に反省です。読み取れませんでした。
 とにかく、ご指摘ありがとうございました、ブサイクは死にませんが、死ぬほど反省しています。