絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

☆ある種のつまらない映画ができるわけ

プロデューサーが、プロットを脚本家志望の人間に「今度使ってやる」などと言って書かせます。
それを高名な脚本家もしくはコントロール下にいる脚本家に渡します。
ちなみにプロデューサーはプロットを自分で書いたと言ってしまったので、的外れな解釈を脚本家に披露します。
プロットの段階では存在していたテーマやモチーフを、その脚本家は理解できません(説明が的外れだから)。
でも仕事なので脚本家は書きます。
脚本はどんどんつまらなくなっていきます。
現場に着いたときには、すでに何だかわからないものになっています。
でも仕事なので監督は撮ります。
今後の仕事や作家性を考える監督は降板します。
アメリカでは、監督が「名前を出してくれるな」と思うほどひどい映画は「アラン・スミシー」という監督名で公開されたりします。
これが日本ではなぜかちゃんと「○○監督作品」として公開されます。ふしぎですね。
 
余談
 映画批評家の仕事は、そういうアラン・スミシー的監督のことを知らない客に「このひとはアレなので気をつけて!」と教えることであって、アラン・スミシーのことを好きな客を馬鹿にすることじゃないって誰か教えてやってほしい今日この頃です。ぼくは北村監督作品好きですよ。ひどいと思うけど、好きですよ。くそ映画だなあ、と思うけど、好きです。なんだろうなあ、単純に否定できないのは単に同じにおい(空っぽ、薄っぺら、にせもの感)をおぼえるからだと思います。自家撞着ってやつですね。
あ、そうそう、明日の夜中にイベントがあるんですが、ぼくは22時くらいから回す予定です。左上のバナーを参照のこと。自家撞着で思い出した爆発五郎さんもDJですよ!すみませんでした!ぼくは自家撞着してます!