絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

不正確な円、歪んだ丸、繰り返しながら内側へ。

 向かいの席に座った坊主頭の男が、焦点の定まらない目であたりを見回している。絶対に目をあわせちゃダメだ、昼の各駅停車に乗ったまばらな客たちは、見て見ぬふりをしている。
 坊主頭は両足を大きく広げ、バチバチと床を踏み鳴らしている。貧乏ゆすりにしては大きすぎるだろう。とがった皮靴の底がベチベチバチバチと床に当たる。だいたい、服装が豪華だ、高そうな靴、高そうな皮ジャン、手には紙の封筒、集英社って書いてある。
 でも、キチガイか、ジャンキー、もしくはとんでもない馬鹿だ。
 坊主頭がおれを見ている。おれは目を伏せているが、顔の角度は目の端に映る。確実にこいつはおれを見ている、そして舌打ちをしている。「っだよ、ったくよぉ……」と小さな悪態が聞こえる。
 おれには電波を誘発する何かがあるのかもしれない。昔からそうだった。そういうのがおれの隣を通り過ぎるときに限って、そいつらは何かを言うのだ。子供のころ、近所の児童館でそういうのがおれを気に行って大変な目に遭ったことを思い出した。その時の傷は今でも顎に小さく残っている。一歩ずれていれば、目や鼻に刺さっていただろう。だが連中に悪意はないのだ、ただ連中は、自分を守ろうと必死なだけなのだ。
 周囲が見えないと、恐ろしい。目をつぶったままで平均台を渡るには、勇気ではなく無謀さ、もしくは周到な訓練が必要だ。同じ行動を繰り返すだけなら、訓練でいいだろう。しかし現実はまったく違う姿を見せ続ける。思い通りにならない世界を相手にしたとき、見えていればそれが事実であると気づくこともできるだろう。だが目を閉じたまま行き止まりの壁にぶつかれば痛い。
 ひどく曇ったガラスの向こうに、薔薇の花束を抱えた恋人が立っている。ただし君はさっきまで殺人鬼に襲われていて、命からがら逃げた末のこと。手には死んだ警官の持っていた拳銃が握られている。恋人は風邪で声が出ない、君の誕生日にあわせてやってきたのに曇りガラスのドアには鍵。君はガチャガチャドンドンと無言で騒ぐ相手の手もとに、赤い何かが握られているのを見る。それはさっきみた親友の生首とそっくりだ。ざくろのようにはじけ、無残にちぎれた大親友の首。そんな映画のラストが悲劇で終わるとして、誰が主人公を責められるだろう。火をふく拳銃、砕け散る曇りガラス、胸に大穴の空いた恋人、はじけて散った薔薇の花束。
 坊主頭の声が、だんだんと大きくなっていく。
「何でだよ、ったく……ざけんなよ、わかってんだよ、やめろよ……こっち見んな!」
 坊主頭が立ち上がって大股でおれの前に来た。殴られたり蹴られたりするのは面倒だ、おれは頭を下げて体を硬直させた。見てません!まったく!一ミリもお前のことなんか見ておりません!だがふと、ばかばかしくなった。危なくなったら走って逃げればいいんじゃないか、それに本当のキチガイなら後頭部にナイフを突き立てるぐらいのことは簡単にやってのけるだろう。そう考えると素直にあいさつでもして、席をゆずればいいんじゃないか。おれは、顔をあげ、そう説明しようと口を開いた。
「ひゃあああああああああああああああ」
 おれの悲鳴だか、坊主頭の悲鳴だかは、わからない。坊主頭の鼻、口、耳、目からどろっとした血が流れ出し、坊主頭は歯ぎしりをしながら立ったまま痙攣している。血は濁っていて、一向に垂れ落ちる気配がない。それでもおれは坊主頭を刺激しないよう、そおっと横に滑って座席を抜けた。電車が駅につき、同じ車両に乗っていた連中は全員降りた。おれもそおっと降りた。誰も乗っていない客車のドアが閉まり、坊主頭を乗せたまま走っていった。
 電光掲示板には、次の電車は十数分後の到着と書かれている。おれはベンチに座り、ひどく深いため息をついた。この駅には見覚えがあった。子供のころ、何かを届けるために、電車に乗ってどこかへ行ったのだ。そのときに乗り換えの駅を間違えたおれは、ここで降りて反対側の電車に乗ろうとした。
 今と同じようにベンチに座り、目の前には灰色のコートを着た男、三人の学生、そして半透明のビニール傘を持った女が左から順に立っていた。晴れているのに、なぜ傘を持っているのだろうか、おれには合理的な説明が思いつかなかった。電車が来る、ホームのランプが光り、学生とコート男が電車の来る方を見た。
 おれは立ち上がろうとして、前のめりになった。地面が目の前にあって、膝に力が入るのとほぼ同時に、耳を裂くほどのブレーキ音と、警笛が聞こえた。顔をあげると、電車はホームに入り、学生とコート男は進行方向を見ている。立ったままの傘がふらりふらりと揺れて、倒れた。女はどこにもいなかった。
 電車はしばらくの間動かず、反対側のホームに臨時が来るというアナウンスを聞いても、おれはベンチから立てなかった。物好きな連中が、落ちた場所が見えるように頭を下げていた。まるで首が重くて立っていられないみたいだった。細長い連中の体から、首がぼとぼと落ちるさまを想像した。落ちた女はまだ生きていたらしい。引き寄せられるようにおれは立ち上がり、停まったままの電車へ近付いていった。ホームと電車のすきまから、ちょうど線路が見える。向こうから光があたって、電車の下は陰になっている。おれはもっと近づく、砂利の上に何かが点々とあって、それが電車の向こうを照らす光を受けてちらつく。おれは黄色いパネルの上に立って、上半身を曲げた。陰の中で何かが動いている、まず濡れた髪の毛が見えた、次に体。そのものではなくて、逆光に照らされたもののふちだけが、おれの目に映った。それはゆらゆらと左右にゆれていて、でも両腕がなかった。揺れながら、それは何かを探しているみたいだった。おれは目を伏せた、すると、まるで耳のそばでささやくみたいに、女の声がした。
「どうして見たの」
 おれは首をぐるりと回して現実へ着地した。
 あれから十数年が経っているのに、おれは見たものを鮮明に思い出してしまう。こうして再生を繰り返すから、よけいに鮮明になっているのかもしれない。逆に、繰り返すたびに新しい絵を付け加えていると言えないこともない。何しろこれは、おれの記憶なのだ。
 やってきた各駅停車に乗り、空いている座席の中でも向かいに誰も座っていない席を選んだ。目指す駅までは数えるほどしかない、もう何も起こらければいい、いや、そうじゃない。何かが起こっても、おれと関係なければそれでいい。
 毎日毎日飽きもせず、電車が走っている。何百万もの人間が、電車に乗ってA地点からB地点まで移動する。どうして移動するのだろう、そこにとどまっていればいいのに。いや、違う、おれが今こうして電車に乗っているように、奴らはA地点からB地点へ「移動」しているのではない。A地点には何もなかったのだ、だから仕方なくB地点へ移動する、すると、そこにも何か大切なものがあるわけではなく、C地点ははるか遠くにあるので、やはり仕方なくA地点へと戻る。するとさっき通り過ぎたB地点に何か大切なものを忘れたような気がしてしまい、また戻る。つまり、どこからか出て、どこに行くのではなく、ただ単に帰る場所を忘れた連中が、戻り続けているだけなのだ。
 何百万人、何千万人が電車に乗る。あちらとこちらに移動し続ける。その中でさっきの坊主頭みたいにおかしくなるやつがいる。おれは電車というものが、心の何かをおかしくする原因なのかもしれないと思っている。
 また新しい路線ができると中づり広告に書いてある。車でも歩いてでも移動できるものを、どうして線路でつなげなければいけないんだろう。地下道に貼ってある路線図を見ると、腐り倒れた巨木の年輪を思い出す。それは、団地裏の森にあった切り株で、昔はそこに巨木があったのだという。その木はいつの間にか中から腐っていて、切ろうとしたら勝手に倒れたらしい。すべて、おれが生まれる少し前のことだ。
 裏の森がだんだんと狭くなり、団地が広くなるうち、おれはすっかりその切り株のことを忘れてしまった。ある日、トラックにもじゃもじゃした黒いものが乗っていた。近づくと、腐った木の根が互いに絡み合って、団子のようになっていた。これは何だと訊くと、トラックの荷台に乗った若い男は裏の切り株だと答えた。その小ささと、記憶の中にある切り株の大きさがうまく噛み合わず、おれは思わず「うそだ」と言ってしまった。
「裏の切り株は、もっと大きいはずだ」
「お前が見たのはいくつのときだよ、体が小さいからでっかく見えたんだろ」
 若い男はバカにしたように笑った。言っていることの意味がわかると、頬が熱く、耳たぶまで煮えたようになった。体が大きくなったから、ものの大きさが記憶と食い違うという経験は、つい先日一年生の教室に入りこみ、体験したことだった。椅子の小ささ、机の低さ、ものが小さくなったのではなく、おれが大きくなっただけ。
 ところが、運転席にいた中年の男は、若い男をたしなめた。
「おれも坊主と同じように思う、掘り返してみると小さいが、こんな細い、毛糸玉みたいな根っこであの巨木を支えられたものかな」
 若い男は笑顔を崩さなかった。
「だから中から腐って倒れたんでしょう、無理していたんですよ、この木は」
「そうかもしれないな」
 二人は、おれのことなど忘れたみたいに話を終わらせた。若い男が縄をかけ終えると、車のエンジンが始動した。からみあった根が、それぞれ別の生き物のように波打ってぶるぶると震えた。去っていくトラックの荷台に乗った切り株の、腐った切り口がおれの方を見ていた。不正確な円、歪んだ丸、繰り返しながら内側へ、暗い穴へと落ち込んでいくうずまき。
 東京の路線図は、真上から見た切り株のようだ。
 電車を降りると、見覚えのない駅だった。改装工事がいつ頃あったのか、古びた具合からすると十数年前のことかもしれない。とにかく、見たことのない柱に、見たことのない壁、そして見たことのない表示板がおれを出迎えた。
 誰もこの駅で降りなかった。ホームから改札へ、丁寧に掃除された階段を降りると、駅前の商店街が広がっている。といっても、目の前にあるのはパチンコ屋と消費者金融、そしてチェーンの居酒屋と軽食屋にコンビニエンスストア。本当の意味での商店街が残るほど、この町には生命力がなかったんだろう。
 駅から続く坂道を降りて、おれは、団地へ向かった。坂道の途中にも百円ショップやコンビニがあり、全国にチェーン展開するリサイクル本屋があった。昔の町が失われている、というような、前の世代にある喪失感などというものは、まったく浮かんではこなかった。
 坂道を降り切ったところには、昔ゲームセンターがあった。そのゲームセンターが潰れ、レンタルビデオ店ができたとき、おれは十才だった。飲んだくれの母親が連れて行く居酒屋で、酒と苦くて生臭い食べ物の味を知った。母親が宗教をやめ、ニューエイジにはまるまでは、コンビニエンスストアと、チェーンの弁当屋がおれのレストランだった。だから今でもおれは、硬くてつるつるした米が好きだ。
 角を左に曲がると、途端に住宅街が広がった。広がる建物たちに見覚えはないが、道路の角度だけはまったく変わっていなかった。違うのは、電柱が埋められていること、ガードレールが白じゃないことぐらいだ。
 ここは、駅に近いから、わりと金持ちが住んでいたように記憶している、子供のころ、ほんとうに小さかったころ、ラジコンやプラモデルを自慢していたのは、この辺の子供たちだった。
 高い壁で仕切られた道を抜けると、とたんに視界が開ける。おれの住んでいた団地は、この高台からはるか下へ降りたところにある。階段と、くねり曲がる坂道を降りながら、次第に白い塊が見えてくる。学校への登下校は、もうひとつの急な坂道があって、帰り道はそこを転がるように走ったものだった。その学校もいまはもうない、数年前に何かの記事で学校併合後閉鎖され、養護施設になったというのを読んだ。
 風は冷たく、薄い雲が油汚れみたいにねっとりと空を覆っている。久しぶりに長い距離を歩いたせいか、体の芯だけが熱く、関節が湿る。歩いた道を振り返る。まるで、垂直に切り立った崖のようだ。側溝を黒い水が流れている。空の白が時折照り返すだけで、あとは本当に黒くて墨汁のように見える。この側溝が集まって、町の中央を流れる川につながり、その川は海まで続いている。何十年も前に作られたその川沿いには、たくさんの団地があって、おれみたいな子供たちがそこでずっと生産され続けている。
 イマシロさんも、おれと同じような境遇で育ち、おれと同じように町に出て、おれと同じように壊れた。
 今朝、イマシロさんとほか数名が逮捕された。バイト先に行くと、騒然としていて、チーフが電話の対応に追われていた。何人かの編集さんの姿が見えなかった。テレビがついていて、ニュースが流れていた。井戸に落ちた犬が十数時間後に助けられた、という感動のニュースだった。何人もの市職員が水にぬれ、最後は重機を持ち出しての大騒ぎだったらしい。犬は人類の友達だ、大切にするべきだとおれも思う。
 昨晩、イマシロさんに卸している押し屋が、コンビニ強盗で捕まった。現行犯だが、逮捕されるまでに店員二人と客一人を殺した。レジに手を突っ込んで、数百円を握りしめながら悩んでいるところを、警棒で殴り倒されたらしい。店員のひとりは電子レンジに頭を突っ込んで、もう一人はレジとテーブルの間に頭を挟んで死んだ。客は老人で、押されて転んだ拍子に死んだらしい。ちなみにおれが遭遇したやつは、未だ捕まっていない。朝、黄色いテープがコンビニに貼ってあった。おれのアパートが通りを挟んだ向かいにあって、本当に良かった。隣にあったらきっと、朝の目覚めに最適なドアをノックする音が聞こえたに違いない。
 で、具合の悪いことに、昨晩は編集部の全員がデスマーチを歌っていた。ビデオ班は進行が速いから、おれだけ先に帰っていたというわけだが、寝ることの許されない地獄の行進、寝なくても元気でいられるふしぎな魔法が必要とされるのは、必然と言えた。
 それからはトランプタワーが崩れるみたいに一瞬だったらしい。とにかく、編集部にいるのは朝出勤してきたビデオ班と営業のひとだけ、あとは全員連れて行かれたってわけだ。おれが、普通そんなことあるんですかね、と訊くと、チーフは、きっと前から目をつけられていて、何かのきっかけがあれば良かったんだよ、と言った。確かに、何かのきっかけがあれば、こうしてすぐに結晶化することが世の中にはたくさんある。たまたま昨晩は、そういう夜だったということなのかもしれない。
 おれは話を聞くと、お茶を買ってきますといって編集部を出た。そして、そのまま駅に行き、新宿へ向かい、電車を乗り継いだ。戻るつもりも、あとのことも、何も考えてはいなかった。ただおれは、どうして、神がおれを選んだのかを知りたくなっただけだ。
 母親が宗教をやっていたのは、おれが四つになって父親が女と家を出てすぐからだ。そしていくつか有名どころ転々として、次第にマイナー路線に偏っていき、十でとうとう坊主が家に来た。坊主は固太りで、ごつごつした筋肉の上にじっとりした油をまとっていた。坊主はおれを見て「ミのサイ」があると言った。意味はわからなかったが、母親が喜ぶのでおれは誇らしかった。
 現実はいくつもの層に分かれ、そのひとつが今私たちのいる意識界なのだと、その坊主は言った。お釈迦様はその層すべてを見通していらっしゃるが、層と層を行き来することができるのは選ばれた人間だけで、おれや、坊主は、その選ばれた人間なのだと。
 仏教の皮をかぶったチンケなオカルトだったが、当時から生きづらさを感じていたおれにとって「選ばれた子」という名前は救いとなった。近い層には似た自分たちがいて、遠い層になればなるほど、自分たちとは似ても似つかない生き物になる。
 ある日、坊主と二人っきりになったおれは、部屋のすみにいる蛇について訊いた。だが要領を得た答えは得られず、坊主はおれの家の経済状況について遠まわしに訊いてくるのだった。
 坊主の集会は一年ほど続いた。近所の連中が来て占いをすることもあれば、おれが依代になって降霊会をすることもあった。依代と言っても、おれはただ集会の前に読んだマンガや童話のあらすじを、名前を変えて、それっぽく喋っていただけだ。ところが集まった連中は、おれの話す嘘の話に涙を流し、そして前世の罪を洗い清めるために坊主へお布施を払った。一度『よだかの星』をそのまま語ってやったら、それは私の前世ですと泣き出した女がいたのには驚いた。きっと何でも良かったに違いない。
 そんなものだから、それらの体験が直接おれに何か宗教的な影響を与えたようには思えなかった。むしろ神仏に対する拒否感や、どうでもいいや、という厭世感ばかりがつのっていった。その後、いくつかの宗教を渡り歩いた母親は、次第に農業や自然食に傾倒し、やがて薄皮が剥けたような笑顔で田舎に帰った。
 ただ一度、坊主の言う「別の層」に接触できたような気がした日があった。その日は何も仕込んでおらず、おれは適当に頭を揺らして、うーんと唸って倒れてしまえばいいと思っていた。だが、妙に熱っぽい坊主の読経が、おれをおかしな世界へ連れていった。おれは頭に浮かぶ景色を口に出した。その世界には高く細長い塔のようなものしかなく、その間を平べったくて長い生き物が浮かんで泳いでいる。やがてその中の一匹が塔の皮を食い破って中に入りこむ。長い体をくねらせて、小さな穴からすっかり塔の中へと入ってしまう、すると塔の傷口は自然にふさがって、またゆっくり時が流れる。
 坊主は、それらはおれたちの層では神様と呼ばれるものだと言った。
 おれに話しかけてきた神様は、その時の神様だろうか。おれが神様のやろうとしていることに気づいたあの時から、神様はおれに話しかけてこなくなった。耳の後ろ、数十センチ後ろにいる気配はするのだが、様子を見ているのだろうか、おれが何を言っても答えない。
 今おれがここにいることは、神様が予定していたことなのか。それとも、想定外のことなのか。全知全能という言葉の矛盾は、新しい神様には通用しない。なぜなら彼らは全知でも全能でもある必要がないからだ。彼らはただ、求められたことを求め、なすべきことをなすために生まれた。だから、この質問は無意味だ。おそらく神様は知っている、おれがここで、何をしようと考えているのかを。
「なあ、神様、ここがおれの育った団地だよ」口に出して言ってみる。
 無音。答えはない。
 坊主は数年後、何者かに刺されて死んだという。
 それが、電車の中でなければいいと、おれは思った。
 それにしても平日の昼間とはいえ、あまりにひとがいない。子供の声も、車の音もしない。まるでこの団地が死んでいるみたいだ。窓に目をめぐらせると、洗濯物や何か、生活の跡らしきものがある。誰もいなくなったわけではない。ただ、物音がしない。
 もっと重要なことに気づいた。動くものがないのだ。さっきまで吹いていた風はおとなしくなってしまい、背の低い木々はびくりともしない。狭い公園に置かれた遊具、ベランダの洗濯物、どれひとつとっても、動いていない。あまりに動かないので、おれは目がはなせなくなった。何か別のことをしなければ、おれは二度とこの場所から動けないかもしれない。おれの住んでいた部屋を探しに目を泳がせると、その部屋には誰も住んでいないことがわかった。まるで、呼ばれているみたいだな、とおれは思った。
 部屋のある棟へと歩く、一階の出入り口は突き抜けており、表と裏、どちらからでも階段のある場所へ行けるようになっているのだ。目線を外さないまま、おれは棟へと進む。まるで何かが動いてくれるのを期待しているみたいだ。おれは目線を外し、団地の中と入った。
 階段をのぼりながら、自分の足音に耳を澄ませた。天井が低く、採光窓も小さい。普通、この規模の建物だと、デッドスペースを作らないよう、ほとんどの場所に蛍光灯がついているものだが、この団地だけは十数年前と同じように、角の方がうす暗いままだ。
 視界を良くしようと髪の毛をかきあげて、その油っぽさに辟易する。前に風呂に入ったのはいつだっけ? かきあげた髪が束になってべとりと落ちてきて、おれは気味悪さをおぼえた。自分の髪なのに、大きな虫かなにかが降ってきたみたいな感じだ。自分の手や足には、神経が通っているから恐ろしいということはない。でも髪は生きているのに感じることができない。髪の先端は、他人と同じ、いや、死人と同じなのだ。
 駅前と違って、まったく変わっていない団地の中は、変わっていないからこそ、何かがおかしいように思えた。壁のヒビ、めくれたペンキの跡、誰がつけたのかわからない天井のシミ。記憶の誤作動なのか、それらがどうして寸分たがわずそこにあるのか。
 暗い穴を抜けて、廊下に出た。柵の形が変わっていた。おれがいたころは胸のあたりまでだった柵が、まるで鉄格子のように天井と床をつないでいる。分厚い腰板が昔のままだから、まるで鉄の柵が植物のように伸びて、そのまま天井に突き刺さったように見えた。
 廊下の突き当たりは非常階段に続いている。建物の外にむき出しに貼り付けられたそれは、真四角の団地からすれば不自然なデザインだ。おれは、骨折したとき腕に刺さったボルトを見て、この非常階段を思い出した。壁をのたくって上ってくるムカデ。安全策なんだろう、プラスチックのパネルを貼られた非常階段は、よけいにムカデっぽく見えた。
 そのムカデのすぐそば、廊下のつきあたりに、おれの住んでいた部屋はあった。
 ドアノブに手をかけて回す。当然のように鍵が閉まっている。子供のころ、家の鍵を忘れたおれは、非常階段から足をのばして、居間の窓へとりつき、そこから家に入ったことがある。それを思い出して非常階段から家を見る、とてもじゃないが何の支えもなしに行ける場所じゃない。子供の頃のおれは、空が飛べたのではないか。そう思えるほどに無茶な高さだった。
 試すことはない、成功しても単なる不法侵入だし、失敗すれば死ぬだけだ。ドアの上にある表札を見ると、名前の書いてある紙が、黒く乱雑に塗りつぶされていた。何の気なしに、もう一度ドアノブを握ってみる。ゆっくり右側に回すと、カチリ、と鍵の開く手ごたえがあった。
 誰かが、内側から鍵を開けた音だ。全身に鳥肌がたち、思わずドアノブから手を離そうと引っ張った。すると、ドアノブを握ったままの右腕は、倒れそうな体にひかれて、ドアを開けてしまった。廊下から差し込む光だけが、部屋の中を照らしている。
 誰もいない。当り前のことだ。ドアに足をひっかけ、マウスを握るときみたいに硬直した右手を、ドアノブから引き剥がした。脇の下に脂汗がにじみ、体温が下がっていくのがわかった。
 ふたたび、部屋の中を覗く。目が慣れてくると、奥の方がベランダからの光で明るく見えた。カビと、畳のにおいがした。入るべきではない、そう体が教えてくれた。ドアから足を引き抜き、そっと閉める。塗りつぶされた表札を見ると、小さく丸が書いてある。セールスマンがつけるマークかと思ったが、何もそんな高いところに書くことはない。ドアの横には郵便受けがあるのだ。手を伸ばし、紙を引き抜こうとする、伸ばした指がぬるりと黒い部分に触れた。
 指にべっとりとインクがついている。この黒いものは、ごく最近つけられたものだ。表札をみたび見ると、さっきの丸も指がついた拍子に消えていた。塗りつぶされる前に、そこに何が書いてあったのかはわからないが、まさかおれたちがいなくなってから十数年入居者がいなかったわけでもないだろう。調べるのは諦めて、おれはドアに指をなすりつけ、インクをとろうとした。
 その跡が偶然歪んだ丸になってしまったことは、生涯後悔し続けるべきことかもしれないが、まだそれが何を意味するのかを、その時のおれは知らなかった。
 階段を降りて、考える。意味はない、ただのいたずらだ。団地に人気がなかったのは、つまりいま住んでいる子どもたちがみな、学校に行く年だということだろう。いまどきの子供はおれよりも背が高くてもおかしくないし、頭の中が子供のままでもおかしくはない。そんな子供の一人が、学校に行く前に空き室の表札を塗りつぶした、乾きにくいインクか、もしかしたらキッチンの油汚れかもしれない。整合性はとれる、何もおびえる必要はない。
 階段を降り切って団地を出ると、目の前の通りを車が横切っていった。風が吹き、振り返れば、洗濯物がはためいている。さっきはなかった蒲団が干してあり、窓が開くともうひとつの蒲団が現れた。懸命に布団を窓から押し出そうとしている誰かのことを想像すると、微笑ましいぐらいだ。遠くを走る車のエンジン音が、おれに現実を思い起こさせた。
 今思えば、見知らぬ男の声が聞こえてくるような状況で、あたりの音に何の意味もないことぐらい、わかって然るべきだったのだ。だがおれは、自分の目と耳を疑うことができなかった。手足と同じくらい、それは自分のもので、裏切りはしないと信じていた。
 髪の毛だってほんの数センチで誰のものかわからなくなるというのに。
 おれはことさら明るい声で、独り言をつぶやいた。
「次は小学校跡地に行ってみよう、建物はそのままのはずだから、跡地というのはおかしいかな。内装はもう直されただろうかね、それとも、あのころのままだろうか」
 おれの斜め後ろで、神様がニヤニヤしているのがわかった。

つづく