絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

風邪ひいた。

 昨日の朝からノドの調子が悪かったんだけど、どうも風邪ひいたっぽい。イベント続くと気合入ってるから気づかないだけで、けっこう体力消耗してるんだよなあ、と思う。休みの間にPLANETSという同人誌に、マンガについての文章を書きました。前に書いた「マンガの図像的解釈」の増補版、というか進化論をたとえ話に使ったマンガ論序論、図像から読み解くマンガについてのあれこれ。私としては、かなり先鋭的なことを書いたつもりだったんだけど、各論の踏み込みが甘いという反応。確かになあ、延長された表現形としてのマンガ、という話は面白いと思うのだけど、結局アシスタント系譜などの正確なサンプルがないと、思いつきのレベルを出ないよなあ。ミームって単語を使わなかったのは、なるべく誰が読んでもわかるようにしたかったから。そのせいで説明が冗長に過ぎたかもしらん。発売されたらまたそれについて書きます。〆切ギリギリだったらしく一文字のチェックも入ってない、怖い。関係ないけど進化論の話、NATROMさんの日記で池田信夫がメタメタにされててざまあみろ、というか専門外なんだから偉そうにしなくてもいいのにね、池田。何で池田が嫌いかというと、山形せんせえをいじめたからだ。それにしても愛国心の進化はひでえなあ、面白いから仮想敵としてコピペ改変してみた。

 週刊少年ジャンプが成功したのは、それが売り上げ競争機械として強力だったからである。マガジンやサンデーの連載人は他誌でも活躍する有名作家だったため、金銭しだいで簡単に寝返り、戦力としては当てにならなかった。それに対して、ジャンプでは新人作家を賞制度によって大量に動員する。これが成功するには新人作家は、金銭的な動機ではなく、雑誌のために命を捨てるという利他的な動機で描かなければならない。逆にいうと、このような愛誌心を作り出すことに成功した雑誌が競争に勝ち残るのである。

 これはひどい。いや、むしろ、こういう文章を進化論にからめて断定的に書けるのも、一種の才能なのかもしれない。進化論の話としてどこが大きく間違っているかは、たぶん「愛誌心を作り出すことに成功」ってところだと思う。淘汰に作り出しも成功もねえだろう、って話だ。逆を言えば、作り出したり成功したりする話に対して進化論を持ってくるのは、だいたいトンデモだってことである。この辺も私のPLANETSに載っている(はずの)記事を読んでもらえると、なんとなくつながるんじゃないかな、と思う。