絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

うーむむむ

この映画を見るたびに、一神教徒はなにか基本的な勘違いをしているのではないかと腹が立つ。まあ、この映画が変に神学的なだけなんだけど。しかし、神を信じているかどうかが基準としてとおってしまう社会は嫌だなあ。ヨーロッパはどこでもそうなのかもしれないが。なんどもかいてるけど、人類の95%がなんらかの神を信じてるというのは絶対うそ。仏教が信じてるのは神じゃないし。この言い方で多神教の神を意味するのも変な気がする。世界のコスモス的秩序、主宰者、全能者、そしてかれが至高善の体現者であること、すべて一神教にだけあてはまる前提だし、そんなもんかってに前提にされたくはないぞ。あとSF映画としては、最後に第二コンタクトのはじまりをもってくるべきだった。恋愛部分と神学関係のシークエンスは本当に必要なのか。つうか、実存的な問いを引き受ける装置として宗教だけしかないような語り口はやっぱりやな感じ。宗教をなにもカルトと同一視してるわけではなくて、自然に宗教が前提になってる世界の内部だけで会話してる感じが気味悪い。しかし特撮はすばらしい。
id:jouno:20041214:1103036336より、映画『コンタクト』感想

なんだ、じゃあ「問題の設定の仕方そのものが無意味であったり、想定外なものとなる。」ってのは皮肉か。ぼくにとって意味が通ったので推敲はされなくてもいいのだが……バカにはされているわけで……しかしだね、キーワードとしてはどうなのあれは、いいのか、読解が必要なキーワードって、アリか。くそう。
 あとキーワード一神教のシンプルな説明に驚いた。