絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

はてなの正しい使い方

音楽界でいちばん“ワルな”アーティストNo.1は?のブックマークで、id:gotanda6さんが「誰かはてなで日本版を質問して」って書いていた。なので、素直に質問してみた。ほら、これがはてなの正しい使い方、じゃろ?

日本の音楽界で一番ワルなアーティストを教えてください。
http://www.hatena.ne.jp/1117073439(終了しました)

 回答ありがとうございました。あと「香港で一番ワルな俳優を…」って質問を思いついたんだけど思いつけばいいだろう、的な発想は危険だと思った。命が。
 そんで、ついでに前から思っていたはてなアイディアを出してみた。
過去ログは月単位で見たいので「前日を見る」だけじゃなくて「先月を見る」というのが選べるといいなあ
↑やっぱみんな思っていたらしい、盲点!

「ブログは終わった」に関して

id:gotanda6:20050526:endoofblogに続こうのコーナー。
ヘッセならこう言うね
「 鳥は卵からむりに出ようとする。卵は世界だ。生れようとする者は、ひとつの世界を破壊せねばならぬ」
って単に引用しただけだこれじゃ。いかにも言いそうなことじゃないといけないので、つまりキャラの立ったひとでないとダメだということだ。
押尾学ならこう言うね
「ブログが終わったと思っている人達には俺の純粋なロックに輝かしい希望を見つけて欲しい」
まあコピペ改変ですけどね。
アントニオ猪木ならこう言うね
「(ブログが)終わるの、わかってるじゃん。元も子もなく、皮だけ残る。」
やっぱり意味がわかりませんね。

何もしないでお金がザクザク!

GoogleAdsenseが一方的に契約破棄
↑この記事を見て何が驚いたってこれ。

あるいは純粋にサイトのファンというか信者な人が、「サイト管理人さんにいくばくかのお小遣いが入りますように……。今年一年家族が幸せに暮らせますように……」とか言いながら広告連打をしたりもする(ぶっちゃけお小遣いとかいうレベルじゃない。それは「収入」と呼ぶに相応しい額ですよ)。
id:kowagari:20050523:1116840049

収入と!呼ぶに!ふさわしい!額!ギャー!ほしい!というわけで申し込みをしまして、審査にも無事通りました!さあ何をすればいいかわかりますね!はてなの!左下の!上にリンクした記事を頭から最後までじっくり読んでから、そーっと押してください、そーっと……あっ、あっ、アカウントがっ。

うまく反論できるようになるために

面白い質問を見つけたんだけど、もう18人も答えているし、こういうことに対して明快な回答を書いたサイトなんて見たことがないので、答えないで考えてみることにした。ちなみにぼくは屁理屈屋なのでこの質問者の敵かもしれない。

質問 他人の話を聞いていて、「それはちょっと違うんじゃないの?」と何となく思う時があるのですが、
何がどう違うのか言語化して相手に上手く説明(反論)する事が出来ません。
これが上手く出来るようになるには、具体的にどのような修行を積めばいいのでしょうか?
http://www.hatena.ne.jp/1117101911

 会話中に浮かんだ考えを言語化するのは、それほど難しいことではない。問題は相手に対して有効な反論として、その言葉を発することができるかどうかにある。そのためには自分の考えをまとめればいいのだということまでは、質問者には理解できている。考えさえまとまれば、反論はできるのだ。
 なるほど確かにそうだろう、ではどうやって考えをまとめるのか。
 ぼくはここで、一人でも可能な訓練法を考えることにした(最初は単なる対処法を書いていたのだが、訓練のためとして紹介されたページと同じようなことを書いていたので、一人用に改定した)。

  1. 脳を二つ用意する
    • まずは、相手の意見を理解するための訓練をしよう。対話中の不満が、ほんとうに相手の意見に対して生まれたものなのか、相手の言葉使いや態度などから生まれたものではないのかを見極めよう。雑誌などで不満を感じる文章を声に出して読む。そのときに、最初は思ったとおりの読み方で、次に感情のない棒読みで読んでみよう。もし棒読みでも不快感を感じるようであれば、それは内容が不快なのだ。
  2. 文章ひとつひとつに対して、めくらめっぽうに反論をしてみよう
    • 段落単位でその文章を否定するのだ。もちろん喋りながら、だ。最初は難しいかもしれないが、繰り返せば筆者が聞いたらその場でショック死するほどの悪口が出てくるようになる。内容は間違いでもかまわない、これは相手の意見に反応する訓練なのだ。慣れてきたら、段落から章、章から全体へと範囲を広げていこう。次第に自分でも無茶だと思うレベルの罵詈と、納得のいく批判が分離してくるのがわかるはずだ。これは相手の文章を理解し、その間違いに気づくための過程で必ず出会う自分との戦いなのである。自分の不快感は、自分にとっては正義だ。だが、それが正義であるからといって「論理的に正しい」という保障はない。論理的に正しくない反論では質問者の理想とする反論はできない、なぜならそれはどれだけ論理的な装いを気取っても「うるさーい!嫌だ嫌だ!」と叫ぶ子供のわがままと大差ないからだ。自分の感じた不快が単なる感情から生まれたのか、それとも相手の誤謬から生まれたのか。その区別をつけるためにも、まずは全面罵倒を練習しよう。
    • さあ、慣れたら次の相手はテレビだ。
  3. 順を追って紙に書く
    • このためにいつでもメモ帳とペンは常備しておこう。テレビを見て不快になったら、メモ帳とペンを取り出す。そして一から話題をおさらいするのだ。もしテレビ番組の論理に矛盾があればそこで明確になるし、なくても不愉快さの原因は明確になる。メモを取り出すときは、必ず自分に対して「私は論理的思考が苦手なのでメモ帳を使います」と宣言をしよう、これは「いつかメモを使わなくても論理的思考ができるようになる」と自分に言い聞かせるために必要な儀式なのだ。ここでブログや掲示板を使うことを私はおすすめしない、なぜなら質問者は既に理解しているであろうとおり、ネット上には教師に比べても数倍多くの下級生がいるからだ。ブログや掲示板を使った不毛なコミュニケーションに快感を感じる変態でないのなら、相手は紙のメモ用紙で充分である。敵は自分であり、最高の教師もまた自分であるということを胸にしまっておこう。
  4. 不満を感じる部分について考えよう
    • 反論相手の意見がまとまったら、その中で不満を感じる部分についてピックアップしよう。1で使った手法を適用して、徹底的に苛め抜こう。そこでできあがった自分の反論は、できれば一晩、我慢できなければ3時間は見直さずどこかにしまっておこう。そして時間がきたら、もういちど見直すのだ。そう、1で使った手法を用いて! 訓練の初期には、落ちた肩が戻らないくらい自分の論理に穴が多いことに気づくだろう。だがそこで落ち込んではいけない、それはきみが成長した証なのだ。ところで、脳の言語野というのは、映像と音声の二部構成になっているらしい、これは素人の想像だが、喋ることと書くことを同時に行うとディベート能力が高くなるのは、それが理由なのではないだろうか。
  5. 地道な訓練が必要なのだ
    • おそらく質問者の理想は、上記のような手続きをとらずに反論することなのだろうが、それは不可能だ。脳は筋肉と同じで鍛えないと思い通りには動かないからだ。そのためには上記の訓練を繰り返すしかない。大切なのは、考えることだ。テンポのいい会話、早口、大声などにだまされないように、常に自分のペースで考える癖をつけよう。相手のスピードに惑わされたら、普段なら思いつくようなことにだって気づけなくなるのだ。
  6. さいごに
    • 物事を単純化したり図式化するのは、気持ちがいいが危険なことだ。脳というのは、いろいろなものにパターンを見つけては納得する能力が高いらしい。確かになければ疲れる能力だろう。パターンを認識し、記憶できなければ、いろんな種類のコップを見るたびに「そうか!これは液体を入れる器なのだ!」と驚かなきゃいけなくなるのだから。だが、相手がコップなら問題はないが、それが人間関係や社会の仕組みになると話が違ってくる。パターンに見えたものが、角度を変えればまったく違った姿になるのもよくあることだ。訓練を続けていく過程で、何度も「わかった!」と思うことがあるだろう、だけどもし「どんな議論でも勝てるんじゃないだろうか?」と思ったら、その予感に1のダメ出しを行おう、議論に必勝パターンはない、大切なのは、自分の打ち出した論理に対する冷静な批評眼なのだ。

おしまい
 あとがき:何だか自分に向かって書いているような気持ちになった。ポイントは「敵は自分であり、最高の教師もまた自分であるということを胸にしまっておこう。」という文章を真顔で書いたところ。