絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

 空気嫁

 自分に対して言うんだけれども。

 ぼくはずっと、加害妄想がひどくて困っている。
「相手が怒ってるんじゃないか、何か自分が失礼なことをしたんじゃないか」と、何げない相手のそぶりや言葉から、そう思い込むクセみたいなもので、しまいには、相手にそれを確認しなきゃ収まりがつかなくなる。 その確認が、どれだけ相手に失礼なのか、訊ねている最中は、思い出せない。同じ加害妄想もちと話すと、互いに「すみませんね」「いやほんとうにごめんなさい」って、延々繰り返す破目におちいる。

「怒ってない?」
「怒ってませんよ」
「本当に?怒ってない?」
「怒ってないってのに」
「え、でもさ」
「怒ってないって言ってるでしょッ」
「ごめん(やっぱり怒った)」

 自己評価が低いくせに、自己愛が強いのだ。なぜ、相手を怒らせるまで、謝るのだろうか。相手に嫌われたくないから、謝るのだろうか。
 違うのだな、それが。
 加害妄想もちは、愛されたいのだ。「嫌われたくない」なんて消極的な理由ではない、積極的に「相手から」愛されたいと渇望しているのだ。でも、いくら「嫌わないで!」と叫んだって、愛されやしないのだ。

 気づいたって治るものでもない。 ただ、好きなひとに嫌われないために、話しかけるのをやめるしか、方法がみつからない。というわけで、ぼくは相変わらず、一対一の対人関係が苦手だ。 とくに、同じようなひとと話して、スピーカーとマイクを向かい合わせに置いたみたいな状況になるのは、もういやだ。いつか、どっちかが壊れる。

 なーんてナイーブなことを考えていたのだが、いくら深刻な顔をして悩もうと、きんたまは揺れるし、ちんぽから小便は流れる。自然は無為だ、人体もまた然り、体の一部である脳が生み出す思考とて、自然の一部であることに違いはない。
 という大乗きんたま思想にのっとって、真剣に適当に生きることを推し進めていきたい。

大乗きんたま思想概略。

  • 小乗きんたま思想は、きんたまは小さく、きんたまのことを真剣に考えた者だけが救われるという考えであり、一部の特殊な性癖を持つものだけの特権的な思想でした。
  • 大乗きんたま思想では、きんたまは大きくひろがり、全てを救うと考えられています。きんたまを持つ者、持たざる者の区別なく、全てを救うきんたま。それが大乗きんたま思想です。

 つらいとき、かなしいとき、ゆれるきんたまを頭に思い浮かべてみてください。バカみたいでしょう?でも、きんたまも、つらい思いも、頭に思い浮かべれば皆同じ、脳の中のできごとです。ほら、ごらんなさい、真剣に頭を抱えてきんたまを思い浮かべているあなたの顔を……バカみたいですね。

顕玉(けんたま)
 宇宙きんたまを遮毘盧那毘盧(しゃぶるなぶる)といいます。このきんたまは姿、形が無く、言葉で教えを説かれる事が無いので、「沈黙のきんたま」といわれています。そこで人々に教えを説く為に人間の体にきんたまを遣わされました。遮毘盧那毘盧の教え、つまり宇宙の真理を「尿(にょう)」といい、ここから漏れ出す知識のほとばしりという意味で、きんたまの教えのことを「尿漏(にょうろう)」といいます。
「顕玉」とは、きんたまがパンツから頭を顕されている事からこう呼ばれています。


 宇宙きんたまって何だろう。