絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

道のむこう

自転車に乗って、津山30人殺しのことを考えている。
追い詰められ、逃げ場を失って、最後によりすがるものが暴力だったのは、なぜだろう。
それはきっと、彼に作り出せたファンタジーが、それだけだったからだ。
戦争しよう、そうしよう。
相手の都合はともあれ、同じファンタジー共有したい、という欲望が犯罪の全てではないか。とも思う。
「好きだから一緒にいたい」は「ストーカー」になり「誰かに勝ちたい」は「通り魔」になり「歌を聴いて欲しい」は「ストリートミュージシャン」になる(おお、最後のはジョークである)。

殺人者の物語が、ある種の人間にとって救いになるのは、それが一度しか共有できないファンタジーを何度も共有させてくれるからだ。本当にやってしまえば、そこで終わる。

いつか、ファンタジーが誰とも共有できなくなったとき、おれは斧を手にするだろうか?

そうならないために、いまはきっと走るのだ。
不格好にペダルを踏む。永久機関にも似た、閉じた回転部に外からのエネルギーを加える。体重を片足にこめて踏み下ろす。重力はより重い物体に発生する。体重というのはつまり地球に力を借りるということだ。
そして前に進む。さようなら、こんにちは。また今度。いつ会えるともわからないけれど。

これでいいのだ。