絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

科学と非科学について。感じていることを図にしてみた。

 注:この図の中で飛行機に関する部分は後付けであり、本題からは離していただきたい。また、この図には誤りが多いが、コメント欄の指摘にもあるとおり、ベルヌーイの定理の場所は、左ではなく中央右よりである。
 左右は検証性。再現性でもいいのかな。中心が高くて、左右に行くにつれて低くなる。右が科学的と言われるもので、左が非科学的と言われるもの。もちろん恣意的に分けているけど、その理由は「間違いを修正することができるかできないか」という点。進化論は数が増えると変化が安定したり、何かの原因で崩れたりする、という理論なので、その根本的な部分に関しては検証が可能だし、検証次第で間違いを修正できる。でもID論や空飛ぶスパゲッティモンスター説は「誰かが作った」というところがキモなので検証ができない、それに細かい間違いを修正したら違うものになってしまう。
 もちろん大きな発見によって左右が入れ替わる可能性はあるけど(光速度の変化が観測されたら相対性理論は大変なことになるだろうし)、そもそもの発端が違うものを同じ場所には置けない。それでも全体の検証性に関しては同じくらい「わからない」と言ってもいいと思う。だから左右に分けました。で、ここを指してID論者は「相対的に見れば同じもの」と言ったりするわけですね。同じじゃないだろ、と思う、私は。
 余談だけど「創造者」の不可知性って「進化論」というより「宇宙物理」なんかと同じあたりにあるんじゃないかな。あとは「唯我論」あたり?それらを全部「同じ不可知」と言い切るのはちょっと乱暴だと思うよ。
 上下の値は、ちょっと自分の中でも未整理なんだけど、はっきりと理論が整合性とれているものと、なんとなくそうかも?と言えるもの、といった対比。破断物理なんかは電子顕微鏡のおかげでかなりのことがわかっているらしいけど、生きている脳にお薬がどう効くか、ということをわかるのはちょっと(技術的にも、人権的にも)難しいらしい(それでもこの位置は低すぎだけど)(最近は磁力などを使って一昔前に比べると随分変化の仕組みがわかるようになってきたとか)。心理学なんかはオカルト呼ばわりされることもあるし、社会学も再現性は低いよね。
 で、真ん中の飛行機は、話題のアレから。
 飛行機はなぜ飛ぶのか
 というわけで、私には、だいたいこういう感じで見えています。
 この図で、中心から同じ距離にあるものを、まったく同じものだと言い切るのは、インチキだと思うよ。
 後日追記予定。