絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

『宇宙戦争』への疑問に対して回答を考えてみよう。

 変な映画を観るとマトモな精神でマトモな意見を言ってしまうお兄さん、だとぼくが勝手に思っているid:throwS:20050705#p1師が、マトモなことを言ったので、ひそかに反論してみます。

そんな宇宙人居ないだろーっていう今となっては、物語の解決に欠点を抱えているようにワスには思える「宇宙戦争」という物語でなくっても良いじゃん・・・原因不明の病気でも、ゾンビでも、天変地異でも・・・と思ってしまってねぇ・・・

 ぼくは「でかい機械が暴れて人間には制御できない」というところが重要性なのだと思っているのですが、その辺はどうでしょうか。ゾンビや奇病や天変地異では「でかい機械が暴れていて、人間には制御できない」というのが表現できないのでは?
 ただまあ、それなら「新開発された60メートル級工業機械の人工知能が暴走」でもいいじゃねえか、という展開もありえるのですが、それだと「理不尽な暴力」が表現できない。何で血を吸うのか、何でカゴに集めるのか、何で人間を追いかけるのか、それらに説明がついてしまう。登場人物が納得してしまう。
 ゾンビや奇病や天変地異なら「何で死ななきゃならんのだ」という怒りや悲しみが表現できるけど、機械が暴走したら「作った奴が悪い」「暴走の原因は何だ」と感情の矛先がどこかに向かってしまう。それでは意味がないのです。
 宇宙人が何をしたいのかは、全然わからない。だって宇宙人だから。宇宙人の顔が子供のようなイノセントさを感じさせる造型なのも、自転車にびっくりし、写真を宝物のように抱きしめるのも、彼らに悪意がないという証明なのではないでしょうか。悪意のない暴力、子供が大きな力を持ってしまったときのような、そんな恐ろしさを表現するためには、あの生き物が不可欠であるように思えます。
 それでも「宇宙人ってのがもう嫌!」なのであれば、劇中では一度も宇宙人だいう確証が出てはいないので、こんな解決はどうでしょうか。

  • 最初にキリスト教の教会をぶっ壊した(異教の邪神として埋められた石像がトライポッドに変身!)
  • 大阪では倒された(大阪にはビリケン様がいるので)
  • 宇宙船が出てこない(そもそもいない説)
  • 本当に雷に乗って来たのかどうかわからない(あのテレビクルーは怪しい)
  • いつ埋まっていたのかもわからない(あのおっさんは怪しい)
  • 何をしに来たのかわからない(神様はよくわからないことをしがち)
  • 何で死んだのかもわからない(暴れて暴れていなくなりがち)
  • 最後のナレーションで「人類は地球の生物として認められた」と言ってた(それまでは、誰かが認めてなかったということで)

 などの点から「人間が調子に乗ってたので、神様が怒って鬼が出た」という和風の解釈をしてみたのですけれども。

 あっ、いやな電波が「サイエントロジーなんだから至高の存在とかじゃねーの」って言っています。ぼくはサイエントロジー自体は嫌いなので、そういう解釈はしたくないんですけど、サイエントロジーの教祖は糞みたいなSF書いてる奴なので、平気で宇宙人が地球にとか言い出すので、スピルバーグサイエントロジーの信者だったらしょんぼりします。ガッカリです。あと映画の中であればオカルト的解釈は大賛成です、フィクションですから。だけど現実には……適用しないでほしい……もう頭が混乱してきたので終わります。

うわー

何か似てると思ったら『イノセンス』の時と同じだ、おれのやってることが。
あぶねー、危うく批判リンク作るところだった、うへえ。
あと重要なこと忘れてたよ!『銀河ヒッチハイクガイド』の予告編観たのだった、面白そうだったよ!そういやこれも地球破壊映画だ、まあ冒頭でぶっ飛びますけれども。原作は復刻版まで絶版!おれは買った!1491円!わはは。えっ?映画にあわせて再販?マジで?

まさに映画モヒカン族

デッド・ネルソン-コンピュータの予言者-
http://www.president.co.jp/pre/19971200/04.html

「このテープレコーダーのスイッチ。これはいわば飾りだ。これを押すことによって、内部のプログラムに動作の命令が伝えられる。プログラムを実際に動かしているのはチップだろう。プログラムの構造はどうか。そこに作り出されているバーチャルな世界はどうなっているか。そのデザインこそ鍵なんだ。このスイッチの多さは、つまり、内部のデザインが明快でないことの反映なんだよ」

 「技術教育を受けた人たちがデザインをするからこうなるのだ。コンピュータ教育を経てきた者はソフトをデザインするべきではない。映像を学んだ者、映画作りをした経験のある者こそ適任だ。オーソン・ウェルズが今生きていたら、最も偉大なソフトウェア・デザイナーになったことだろう」

ニヒリズムを封殺せよ
http://d.hatena.ne.jp/tido/20050705#p3

日本映画の21世紀がはじまる―2001‐2005スーパーレビュー

映画に接したとき分析された構造ではなく、そこでは体感だけが「スゴイ」とか「超泣ける」というような抑制のない語彙で書かれざるをえない。美辞のインフレならまだいい――言葉は要請にしたがい白痴化を呈す。それらが映画評論の空洞化の兆候だ。