絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

映画の感想文について。

要約:物事を多くの面から見た映画感想文は、映画の面白さを何倍にもしてくれるが、一方的な見方の映画感想文は、必要以上に映画をつまらなく感じさせる。

 批評というのも定義がよくわからんので、とりあえずWebにあって無償で読める映画を観た感想文を、全て感想文と呼ぶ。
 映画の感想文にもいろいろあるが、自分語りに終始するもの、批評家の意見を丸写ししたもの、映画の筋が理解できていないもの等をはぶくと、大きく二つに分けられる。

  • 役に立つもの
  • 役に立たないもの

 この場合の「役に立つ」とは、映画をより楽しむために多くの視点を提供してくれることを指す。観終わったあとでもその文章を読んで楽しむことができる感想文、それが「役に立つ」映画感想文だ。役に立つ感想文の面白さは、その映画があなたにとって「面白い」か「つまらない」かが関係ないところにある。つまらないと思えた映画の面白さを教えてくれる文章、損を得に変える映画感想文、そのような映画感想文は、確かに「役に立つ」。
 反して、役に立たたない感想文は、おそろしいほどにつまらない。その多くは紋切り型の批判に終始する。誰もが思いつくレベルの批判が並べ立てられ、それが常識であるように振る舞う。つまらない映画はよりつまらなく、面白い映画も驚くほどつまらない映画に変えてくれる。役に立たない映画感想文のすごさは、ひとの心から記憶の輝きを奪うところにある。

役に立つ感想文

これから貴様らに、びっくりするほどいろんな暴力を見せてやる、そうスピルバーグが笑っているのだ。
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20050701

役に立たない感想文

内容に関しては、どうしようもないの一語。トムさんとダコタさんがただひたすらにげるだけ。それ以外は何もない。
http://movie.maeda-y.com/movie/00549.htm

というわけで『宇宙戦争』観に行くぞーいえー。

映画は怖い

宇宙戦争』を観ましたよ!とにかく良かった、役に立てるかどうかわからないけど、感想文を書こう。当たり前のようにネタバレ感想ですよ!

 一番「怖い!」と思ったシーンは、電車がゴーッってところ。とにかくでかい機械が人間の意志とは関係なく勝手に動いてる風景ってのは怖い。
 この映画では、冒頭から、コンテナやら牽引車やら「人間のコントロール可能な機械」がでかい音たてて動くのだけど、それらが主人公と息子のキャッチボールで、怒りにまかせて投げたボールがガラスを割るのを皮切りに、文字通りコントロール不能になってしまう。
 主人公レイはエンジンいじりが趣味の機械大好き人間、だけど彼はクレーンのようには家族をコントロールできない。そもそも家族はコントロールすべきものじゃないんだけど、彼にはそれがわからない。
 だから彼が意識してコントロールしようとする相手は、すぐに彼の手からスリ抜けていく。
 嫁さんは逃げて金持ちと再婚し、ボールはすっぽ抜け、拳銃と車は奪われ、息子にはバカにされる。トライポッドが出てきてからも、正しい情報はひとつも手に入らない。「ヨーロッパは無傷?」「ヨーロッパが壊滅?」「宇宙から来た?」「地底に隠れていた?」レイは娘の心のを知らず、アレルギーを知らない。ブチ切れてパンを投げても、何も解決はしない。ガラス窓に張り付いたパンがズルズルとおちていく。燃えさかる電車がどこかへ走っていく。回転するスクリューが水面を斬り裂く。軍隊はどこかへ向かう、どこへ行くのかは誰も教えてくれない。「大阪じゃ2匹やっつけたらしい」と言った男は騒がしく狂い出す。コントロール不能、すべてがコントロール不能
 これは現実だ、現実そのものだ。
 レイには正解がどれなのかがわからない、ただ娘のために前に歩くことしかできない。車のエンジンならプラグを直せば使える、だけど人間は?壊れた世界はどうやって直せばいい?
 努力するしかない、目の前の障害物を取り除くしかない。誰もほめてはくれない、だけど生きるしかない。レイが娘を守るために殺人を犯すシーンは、あまりに悲しくせつない。彼にはそれくらいしかできることがない
 この映画は評判が悪いらしい、なぜだろうか。こんなにすごい映画のどこが面白くないんだろうか。邪推だが、たぶん、みんな自分が何の役にも立たないってことを言い当てられて、怖かったんじゃないだろうか。この映画はコントロールできない、確かなことは何もわからない。答えは何も教えてくれない。わからないことを指摘されると、ひとは怒り出すものだ。そして主題から目をそむけて、細かいアラを探そうとするのだ。だけど、怖がる必要なんてなかった。ちゃんと観たらいい、レイは娘を助けたじゃないか、今まで役立たずだった彼が、ひとの役に立てたじゃないか。
 もちろん、ぼくらには、それくらいのことだって、できるかどうかわかりゃしないのだけれども。

*表題は黒沢清の『映画はおそろしい』から剽窃黒沢清の言う自動機械(動く椅子に縛られたまま、回転する刃物に向かって動いていく)こそ映画のあるべき姿だと思える。ぼくにとっても映画というのは「圧倒的な力」なのだ。そういう意味で『宇宙戦争』は圧倒的だった。もうほんと、何がつまらないのか全然わからんのですよ。細かいこと言い出すとキリないけどさ、CG映画は飽きたとかどうとか言ってる奴、DVD出たらおれとCG・実景・ミニチュア合成ライン探し出し勝負しようぜ、一時停止なしで。絶対負けねー。

追記:珍解釈トライポッド=地底人説

ぼくの役に立つ宇宙戦争の感想文(他のひとがどうかは知らない)。

ほいでもって、さらに妄想を進めるならば
 結末の解釈について。一人称の映画であるはずの『宇宙戦争』から、レイがいなくなるシーンがひとつあって、思い出すとあそこが一番怖かった気がします。
で、何が怪獣を目覚めさせたかといえば
 アメリカで興行収益が悪い、というのを読んでからこの文章を読むと、さもありなんという気持ちになります。あとマイノリティリポートのときもそうだけど、トムはほんとうに「家族においてかれて一人ぼっちな男」が似合うなあ、って思ったです。
もしこのオチや解説が物語の放棄に思えるとしたら、逆にそういう人間は幸福だと思う。
 そうか、そうですね、あの映画が怖くなかったってことだもんな、それは確かに幸福だ。というわけでid:matterhornさんによるあまりに悲しい結末の解釈。そう考えると、丘に登っていく人々の姿や、丘をはさんで別れ離れになる親子、そしてレイが一線を超えたあとに見る赤い景色、すべてが地獄絵図。