百選
id:kanoseにバトンが回って停滞してからと云うもの、「映画百選なんてとくに興味ないよ」とばかりに皆が無関心を装うようになったはどうしてだろう。本当のところ皆はどう思っていたのだろうか。もしこれが「相手が大御所だから黙っていよう」というものだったらあまりに悲しい。
id:matterhorn:20050621#p1
ぼくが何もしなかったことによってid:matterhornが不快感を得た。それはぼくにとって(ぼくごときが共感できる範囲内で)悲しいことだ、なぜならぼくはid:matterhornの文章を好ましいと思う者の一人だからだ。好ましい文章を書く者が不快感を得る原因がぼくにあった。それはとても悲しいことだ。ぼくは「何もしなかった」という罪を犯したのだ。
ぼくが何もしなかったのは、未だ起こらざることに対してぼくが期待を抱けないくらいの馬鹿だからだ。id:TomoMachiにバトンが渡ったときの興奮は今でもおぼえている、その他にも、さまざまな回答を面白がり、疑問に思い、騒動の渦中に飛び込んだことをおぼえている。だがid:kanoseがバトンを止めた、その先には何も起こらなかった。バトンは止まっていたし、id:kanoseからバトンを奪い去る者は現れなかったからだ。奪い去るという発想がそもそもぼくには思いつけなかった。そしてぼくはid:kanoseに失望することもなかった、ふつう、ライターというのは自分に興味の抱けない分野に関しては恥を欠かぬよう言葉を濁す生き物なのだ。すくなくともぼくは、相手が大御所だから言及しなかったのではなかった、大御所という意識もなかったし、ただ「ライターっぽいなあ仕方ないなあ」と思ってあきらめていただけだ。そういうくだらない状況にあきらめを抱いて、薄ら笑いでやりすごしていたのだ。いや、そこにすら至らなかった。ただ黙っていただけだ。id:matterhornがid:kanoseに映画百選のことを問いただすたびに何かの興奮をおぼえた、それが何かに気づきもしなかった。それは自らの責を果たさぬ者が、果たせる者に対して抱く憧れというものだ。だがそれに気づけなかったぼくは、ただそれを見ていた。
とても悲しい。もう何の償いもできない、ぼくは何もしなかったのだ。
連続殺人者
悲しいときは本を読む。いまは友達に借りた『連続殺人者 (TRUE CRIMEシリーズ)』という本を読んでいる。テッド・バンディやジョン・ウェイン・ゲイシーなどの連続大量殺人者について、出生から逮捕、死刑までをるポタージュしたものだ。偏向の強い内容だが、文体に特徴があって読むと楽しめる。一番の問題はそこで、訳者の意向か原書がそうなのか、明らかに楽しめる内容なので何の考えもなしに「楽しめる」と書けてしまう。もちろん殺人そのものは吐き気がするほど嫌なものだが(ぼくは他人の意思や偶然によって自分が死ぬことが非常に不愉快なのだ)、文章で書かれたそれらの出来事は事実でありながら「読んで楽しめる」レベルのものに脱臭されている。
読むという行為には、ふたつの目的がある。ひとつは逃げるためだ。