絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

CD規制法案と読書会

今更なので、知らない人もいないだろうけど、山形せんせいの意見だけリンクしておく。
http://be.asahi.com/20040410/W12/0025.html

 ところで僕は演劇の講師をバイトでやっていて、中学生やら大学生やらに演技を教えているのだけれども、授業の最初の方に必ず言う話がある。
「テレビは見ますか?テレビは電気が通じなくなれば見れません、映画は見ますか?映画はフィルムが燃やされれば見れません。演劇だけが、何もなくてもできる最後の芸術なのです」
だからすばらしいのでがんばりましょうね、というプロパガンダだ。アカと演劇の相性の良さも、ここに由縁する。
 これが意外と、携帯電話ありきで生活している子供には効く、肉体を意識するところから始める勉強なんて、他にはないからだろう。

 こう、演劇などという、弱者の芸術をやってると、インフラありきの文化に対する感覚が、にぶくなって良くない。国が規制をかけようが憲兵に捕まろうが、死ぬまで演劇はできますよ、とか。そういう話は「青少年育成云々」の時も書いたけど、結果的に殺されるまで何もしないのは間抜けだ。戦えるのなら、戦った方がいい。まあそういう気持ちもあってネットでバカ映像を配信しているのだけれどもそれはまた別の話。

 レコードや映画、そして出版からインターネット。記録メディアのおかげでぼくらは長老を必要としなくなった。生き字引よりもモニターに向かった方が、バイアスのかからない、正確な情報が手に入れられる気がする。
 でもそれはほんとうだろうか。
 山根貞雄『現代映画への旅』を読んで、その疑いを強くした。
読書会
参加者からは削られてるのでお気楽に書こう、メインの話題じゃないし。
 この本の中に、著者の山根氏が、蓮實氏らと共にロシアに渡り、失われた日本映画のフィルム復元を行った話が書いてある。50年以上前のかすかな記憶と記録を頼りに、編集され、劣化した、膨大なフィルムの中から探し出し、復元する作業。それを、山根氏、蓮實氏らの他に、誰ができるのだろうか。

 CD規制法案によって、CDによる音楽鑑賞は国の関与を受けることになる。個人の楽しみ、そして文化が、企業の都合で邪魔されるワケだ。
 焼き捨てられて失われた戦前の映画のように。

山根貞雄『現代映画への旅』
 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062105896/
 
*立ち位置確認。CD輸入規制には反対。演劇は好きだが人間の屑生産業だと思う。

 今日渋谷を歩いていたら「麻草さん、三悪行きますよ」と声をかけられた。も、の、す、ご、く、うれしかった。観客があの人だけだったとしても、何も怖くないくらい、うれしかった。
 でも担当の北村さんは店長にちんこをねじり切られるらしいので、うれしくはないだろう。

 ところで麺類やステーキの脂身などが食後30分ほどのどの上にあがってくることはありませんか、えーと、僕は未消化の食物があるばあい、少量ずつ、胃に力を入れて、のどを開くとあがるので、噛みなおして飲み込んでるんだり、脂身だったら吐いたりしてるんですけれども、みなさんはそういうことをしませんか。
 牛みたいで気持ち悪いと言われたのですが。
(原因は、あまり噛まないで食べるからだと思う)

文春のアレ

キーワード立花隆で飛んでくる人がいたので僕の立ち位置確認。
 基本的にトンデモ大好きおじさんと仮定、スノーボール仮説でカンブリア大爆発の説明がつくなら草葉の陰でグールドせんせいも喜ぶわきゃない。文春差し止めは「くだらない記事で差し止めれば反発が少なそう」という差し止め要求側の意図が透けるので断固反対だが、記事のくだらなさに目をつぶる立花センセは厨房。
参照:http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040406
村上といい立花といい町山さんは隆運が悪い。
 姓名判断とか信じちゃう人は二文字苗字にして子供に隆ってつけたらいいんじゃないか、マスコミ受けのいいトンデモ系タレント○○になれるかも。
 僕は姓名判断を一切信用していませんのでこれは冗談ですが。

 僕の文章は理解しづらいらしいので、立ち位置を書くことにした。たとえば立花センセのトンデモっぷりを示すページをリンクしても、誰もが本文を読んだあとでリンクをたどるわけではないからだ。
 僕は冗談も本気もどっちも真面目に書きたいと思っている、その区別はつかなくてもいいと思う。読む人が考えてくれたら、それでいい。だけど意味そのものが逆に取られたら困る、だってそれは意図するところではないから。