絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

著作物は、燃やしても良いものか。

 前に話題になった、ゲームソフトを燃やしたアイドルの件について、一番気になったのは謝罪文だった。

 自分の写真集、DVDがそうされたらどう思いますか。というご意見もいただきました。わたしは、もし、その人にとって興味の無いものに「なった」のだったら仕方ないと思います。次に楽しんでいただけるものを作ろう!と思います。飽きさせてしまったはるなが悪いんだな、って感じます。家具でも絵でもロケットでもなんでも人が飽きる→捨てられる、のだと思います。そして、人が作ったものは必ず人は飽きるものだと思います。そしてそれが人の進歩だとも思っています。
http://blog.livedoor.jp/tokyozukananno/archives/50479430.html

 ビバ大量消費社会!人類の進歩と不調和!これぞ未来派宣言!現代のマリネッティサモトラケのニケよ!戦争こそ新しい美の創造だ!我々は過去を知る必要がない!古い町並みを!絵画を!彫刻を!ピッケルと斧とハンマーで壊してくれ!……興奮しちゃった。確かに芸術は「常識」や「因習」を破壊する力があるし、それを行使するのは芸術家の役目だろうけど、マリネッティファシズムに傾倒していったように、その破壊する矛の向かう先はいつも同じだ。そうなってくると、破壊する芸術ってのは理屈めいたところで結局過去に習っていることにならないか。だったら理屈なしで「ぶっ壊せ!」って叫んでる方がよほど良いよなあ。
 で、今更これを思い出したのは、作家の森博嗣さんが書いた、中古販売についての文章を読んだからだ。

ただし、僕自身はまったく気にならない。自分の本が中古で売られようが、図書館でただで読まれようが、まったく気にならない(図書館よりは、中古販売の方が少しましか)。たとえば、「もう森博嗣なんか金輪際読むものか!」と本を山積みにして燃やされたとしたら、そちらの方が、古本屋や図書館よりは、多少良い状態かな、とは正直思うけれど……。
MORI LOG ACADEMY: 中古品の著作権万来堂日記2ndより)

 その人の考え方が、作品の価値を決めるとは思わない。だからアイドルが勘違いした未来派であろうと、作家が中古販売を心底憎んでいようと、気にはしない。
 ただ、その想像力が、貧困である場合は別だ。
 本にせよ、DVDにせよ、それが完成するまでには多くの人の手が、関わっているものだ。著作者やモデルは、確かにその作品にとって一番大切なものだし、最も権利を有するんだろう。だけど、その表紙をデザインした者、その作品を編集した者、その複製に携わった者、その作品を売るために営業した者たちもまた、その作品を大切に思い、愛し、人生の一部としているはずだ。
 それを、看板だからといって、燃やしてほしい「燃やされた方が、古本屋や図書館よりは、多少良い」と言うのは、どういうことだ。
 作家たるものその糧は、凡人及びつかざる想像力へと供されるものだろう。
 それがアレか、怒られて逆ギレした子供アイドルと同じレベルか。
 私だって、消費物が飽きられて捨てられることは、仕方ないものだと思う、そんなことはわかっている。だけど、仕方がない、と理解することは、決して著作物を捨てたり燃やしたりして良いと断ずることじゃないだろう。もし燃やしてほしい「燃やされた方が、古本屋や図書館よりは、多少良い」と言うのなら、まずは燃やしてから言うべきだ。そして、燃やすときはちゃんとケシズミにして、原始時代に戻してやれ。