絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

暖かい時期に冷房をつけております。

 すこし暖かくなったからといって、冷房をつけるのはいかがなものか
 節電をしなければいけない、家計の問題でもあるし、なるべく電気は使わないほうがいい。わかっております。重々承知しております。ですが、在宅で仕事をする事が多いわたしは、なんと湿気に弱い。いえいえ、これも心の弱さである、と、どんな環境にあっても、汗だくであっても、文章を書くぐらいの事は識字率の高い日本人であれば誰にでもできることであるし、そんな程度の事で贅沢を言うなと、仰る方もいらっしゃることでしょう地獄に落ちろ。
 取り乱しました。とにかくわたしは湿気に弱い。とくにこの季節ともなれば、空気中に含まれる湿気と気温のダブルパンチによって、頭はくらくらし、まともにものを考えられなくなり、文章は支離滅裂千々に乱れて行くあてもなく、資料を読む目もうわっつらをすべるばかり。そういう事情をもってわたしは言い訳がましく窓を閉め、鍵をかけ、カーテンを閉じ、密室となった部屋の中でおもむろに冷房のスイッチをオンにするわけであります。
 この、冷房というものは、触媒によって外気から温度をうばい、モーターを使って冷たくなった空気を室内に送り込む、といった仕組みであるというふうに聞きおぼえております。冬のあいだは、ありふれたものであった冷たい空気も、この時期の昼間ともなりますとまったくその姿を消してしまいます。そしてあれほど切望したはずの「暖かい空気」なるものを、この冷房という装置は、その内に取り込みながら、なんたることか温度をうばい、冷気に変えてしまう。なんと無意味なことでありましょう。人間はなぜこのような無意味なものを作るのでしょう。冬は寒く、夏は暑く、梅雨のあたりはなまあたたかい、それでいいではありませんか。よくない。
 よくないのです。人間の体は、いいえ、わたしの体はそんなに丈夫ではありません。冬は寒いから手袋とマフラーを必要としますし、夏は暑いために裸になりたくてたまりません。梅雨のあたりになると全身にまとわりつく湿気をなんとかするために除湿をするしかない、というところまで追い詰められているのです。
 ためしに冷房を切ってみましょう。あっというまに窓から壁から熱気が伝わってきます、やがてその熱気はわたしの体を包み込み、その思考を支配しはじめるのです。ああ、冬の間に冷たい空気を貯めておいて、暑くなったら開放できたらいいのに……乾燥した空気を貯めておいて、この時期の湿気を吸い取ってくれたらいいのに……蛇口からドクターペッパーが出てきたらいいのに。ほら、まともにものも考えられません。愛媛県では蛇口からポンジュースが出てくるという都市伝説を聞いたことがあります。まともに考えれば蛇口から甘い飲み物を出すためには水道管の中を糖分たっぷりの液体が通る事になり洗浄もままならず衛生的にも危険でありますから、これはおそらく蛇口の出口に次元転送装置があるに違いないとわたしは考えます。タンクの出口と蛇口をつなぐゲートのようなものであり……はっ、もしこれが時空を超えるものであれば、冬の空気を夏に、夏の空気を冬に送り込めるのでは……!?
 いますぐ愛媛に技術提供の要請をするべきなのでは……!?
 わたしは、すこし休んだ方がいいのでは……!?
 おわります。
 
今週のお題「こんな“ひみつ道具”がほしい!」