絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

いかたん舞台版によせて。

 いかたんのパンフに書いた挨拶文を転載します。

きみは一人じゃない

 SFには「ファーストコンタクト」と呼ばれるジャンルがある。映画では『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』などの幸運な出会いから『インディペンデンスデイ』『スターシップトゥルーパーズ』などの不幸な出会いまで、あらゆる形で異星に住む「別種の生物」との出会いが描かれてきた。
『いかたん』は、その「ファーストコンタクトもの」というジャンルに、新しい視点をもたらすことになる一作だと、ぼくは思う。
 劇中に出てくる宇宙人の一人は、チョッカクという名前で「まっすぐなものが好き」という属性がある。フィクションに登場する宇宙人には常についてまわることだが、地球人に比べて彼らは一様に進歩している。ではチョッカクはどう人類よりも進歩しているのか。
 ぼくたちはいま、直角や直線に囲まれて生きている。だけど、こんな風景は一万年前にはなかった。もともと哺乳類の脳には直線や直角を検出する部位があるのだが、それはあくまで類似した角度を見つけるためだけに使われていた。人類は、進化よりも早いスピードで、異様な世界を脳の外に顕出させてしまった。その先をわかりやすく表現すると「チョッカクが好き!」ということになるのだ。
 そして当然のように、まっすぐなものに固執する彼は、柔軟な思想を持つ地球のいかもの探偵と真っ向対立する。ここで現われるのは「文明対反文明」といった大上段に構えた話ではなく、もっと身近な目の前にある人間との関係だ。
 たとえば遅刻をとがめられて「どうして遅刻したんだ」という質問に答えたら、更に怒られた経験はないだろうか? 「遅れたのは電車じゃない、お前なんだ!」と言われても、どうしようもないじゃないか。
 だがそれは、一片の事実を伝えている。上司は理由がほしいのだ、今日遅刻した理由ではなく、君が遅刻を繰り返す理由、あるいは大事な日に遅刻してしまう、君の曲がった根性についての理由を。
 演劇とはまさに、その理由を見つけるための、あまりに大げさな手続きだ。ピタゴラスイッチのように綿密に計画し、多くの無駄な手順を踏んで行なわれる、ごく当たり前の事実。だがそれは「その手順」でなければ見つけられない。
 現実の世界で異星人にはおそらくまだ出会えないだろう。だからいまぼくが出会える「別種の生物」は、観客と言う立場にいるあなたたちだけだ。
 メッセージはシンプルで頼りないかもしれない、だけど、それを演劇という大げさで無駄の多い人間ならではの手法であなたに届けられることを、ぼくは誇りに思います。