絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

グレッグ・イーガンの『順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)』

 もうすぐ上巻が終わるところ。
「ネットワークの中の仮想現実で走るプログラムとして存在する男」というのが出てきて(乱暴な説明だけど)、さまざまな実験をする。数を10数える間、世界中のコンピューターに自分を分割したり*1、時間を逆転させたり*2、途切れ途切れに意識を失わせてみたり*3
 そうやってバラバラにしても、意識は継続していて、変化のない状態と違いがないということから、彼は「読み取る仕組みさえあれば、宇宙にちらばった塵からでも、何かが読み取れるということに気付いてしまう。
 まあラリですけど。
 仕事の合間や、移動中、夜寝る前などに読んでいるので、ぼくはこの本を断片的に見ることしかできない。もちろん右から左に読み進めているので、時間をさかのぼることはできないけれども、本を読むという行為は、少しだけプログラムの一部になったような気にさせれくれる。
 そういう断片の積み重ねで、意識や感情というものは、できあがっているのだ。そして、できあがったものはもうすでに断片ではないように見えるが、やはりそれは断片のつなぎあわせなのだ。
 とはいえ、現実はやっぱり強固なのだった。
 人生が壮大なデタラメであったならなァ。仕事しよう。

*1:相対的に見える時間はネットワークの距離分伸びるが、体感時間は変わらない

*2:逆転している時間の中で体感するのは正常な時間の流れ

*3:休止状態は意識されない、ゆえに体感時間に途切れはない