絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ゾンビについて考える手立て。

『ランド・オブ・ザ・デッド』前夜祭“NIGHT OF THE ZOMBIES”詳細決定!
 いやー、すばらしい、ブッ殺せ!

 世界で一番恐ろしい存在とはゾンビであることに概ね異論は無いと思いますが、この前夜祭はその事実を大勢で再確認したり、恐怖したり、一方で歓喜したり、会場にて集団失禁したり、家に帰ってから怖くて眠れなくなったり、眠れない腹いせに通行人をゾンビと思い込みチェーンソーで攻撃し大惨事に発展したり、それでも不屈の精神でゾンビ映画が好きだったことを言い訳とし精神鑑定で見事に無罪を勝ち取ったりするためのものです。
3×3×3

 モダン・ゾンビがそれまでのホラー・モンスターと決定的に違うのは、それが人格を持たない単なる物体に過ぎないということである。確かにフランケン・シュタインの怪物も死体を繋ぎ合わせた人造人間ではあったが、彼には人格と呼べるような自意識や感情があった。ミイラ男もゾンビと同じ甦った死体ではあっても、古代エジプトの誰それの再生であるという個性と人格を備え、特定の目的を持って行動する。ただ人肉を喰らうという本能---というより生化学的な反応によってのみ行動し、生前の個別的人格とは全く無関係な物体でしかないゾンビとは、似て非なるものだといえる。
(中略)
 死者から”霊”的なものを取り去った物質としての死体そのものがゾンビなのだ。
ホラー映画のB級哲学 第5回 ゾンビの時代

 ゾンビは「意思を持って襲ってくるとしての恐怖」ではなく、ただ「自分を殺すために動いている自動機械としての恐怖」を演出するためにある怪物なのですね。ゾンビ映画の重要な演出として「ゾンビに噛まれて次第にゾンビと化す仲間」があるのも、それが理由です*1
 自分の意思ではなく、何か得体の知れない原因によって怪物化してしまう、しかもそれには理由も目的もない。古典的なホラー映画と現代的なホラー映画の違いは、モンスターの目的が不明瞭なところにあります。それらの映画に出てくるモンスターは、あらゆるものが消費され、英雄としてもてあそばれる現代においても、けっして格好いい立ち位置を得たりはしません。あくまで傍流、アウトサイドでうなっているのです*2
 ゾンビ映画における恐怖とは、自分も潜在的にはゾンビであり、ちょっとしたきっかけでいつでもゾンビになれてしまうというところにあります。
 だからこそ、こんな意見も出てくるわけです。

■中野監督もゾンビ嫌いだ!

 ゾンビってただ死んだだけじゃん。怪物であろうとする「努力」みたいなものが足りないのよ。苦悩が足りない。Tシャツや短パンみたいなラフなやつもいるし。
 民主主義の間延びしたヤな部分を一杯しょってて、すぐ政治がどーのレーガンがすべったのブッシュが転んだのといったものがくっついてくる。そんな講釈がくっつきやすい怪物は二流。

というわけで私もゾンビ嫌いなのです。ゾンビ好きなのはサブカルの人だけなのかもなぁ。ゾンビって中産階級のつまらないサブカルみたい。それが今っぽいのか。
屋根裏

 中野監督と屋根裏さんがゾンビを嫌いなのはすごくよくわかります。彼らは唯一無二の個性を尊重しているので、努力も苦悩もなしに群れで襲ってくるかっこわるいゾンビに食い殺されるのはすごく嫌なんだろうなあ、と。でもまあ死ねばそんな嫌な感情も消えてなくなるのですが、あいにくこれは映画なので観終わったあとも「弱者に食い殺された」という記憶は残るのです。ただ、ゾンビ映画を好きなぼくとしては、そこがいいのに!と言いたい。前にも書きましたが、ロメロの「ゾンビ映画は社会の反映」という発言を真に受けないでほしいと思います。あんなのは飾りです。

渋谷のヤマンバも「やっぱりゾンビは怖い!」
http://www.television.co.jp/entertainment/index.html#1071
「ゾンビは脳無しの肉塊。この作品では金におぼれる人間が出てくるけど、そういう人間もゾンビと変わらないと思いました。最後のほうで、その金持ちをゾンビが倒すシーンや、ゾンビが行き場を探してさまようシーンがよかった。ただのホラー映画じゃない」とのこと。なかなかまともな意見なんだけど、いきなりネタバレなのはどうかと思った。
インサイター

 というわけで、ヒーロー化したゾンビは見たくないなあ、それじゃハマーモンスターズと同じではないか、アホか。と思いつつ、明日の夜には渋谷日比谷へ向かうかもしれません。うーうー言いながら、生前の記憶に突き動かされて。

*1:オリジナルの『ドーン・オブ・ザ・デッド』では中盤で、リメイク版ではラストの演出として仲間の感染が描かれています。また『バタリアン』ではコメディでありながら泣けるシーンになっているところも見所です。近年の作である『ショーン・オブ・ザ・デッド』では、そのシークエンスが(以下略)。また、伝染映画との類似性も気になるところであります。エーボラァ

*2:悪魔のいけにえ』のレザーフェイスはそのスタイルからヒーロー扱いされる場合がありますけれども、それは何かの間違いです。ヒーローになりえない意味のわからない奴だったのにヒーロー化されてしまったモンスターと言えば、エイリアンとプレデターが思い浮かびますね。