不安を抱える覚悟について。
先日、ある舞台を観て、そのおもしろさに喜び、ひどさにがっかりした。
いわゆる推理サスペンスもので、最後にメタフィクション的なオチがつくのだが、それまでの推理部分にかなり満足してたおれは、このオチにたいそう憤慨したのである。
というのも、二時間観ていたものを最後に「うそでしたー」とひっくりかえされることで得られるものが、安心感以外になかったからだ。そりゃお前らは人を殺したりしないんだろう、全部ウソの方が安心するんだろう、気持ちはわかる。わかるけど得意げな顔で殺人についての結論を放棄されても、こっちとしては「ああ、こいつは本気じゃないんだなあ」と思うしかないのだ。
おれはデビッド・フィンチャー監督の『セブン』試写会でのエピソードが大好きだ。
上映が終わると、ある女流評論家がフィンチャーに言った。
「あなたの作品は好きだったけど、今回はダメ、だって最後に○○を見せるだなんて……*1」
もちろん○○など画面に一度も映ってはいない。フィンチャー自身が語っていることだから、信憑性がどれほどのものかもわからない(DVDのオーディオコメンタリーで聞くことができる)。けれど、これこそがフィクションを作るときの醍醐味だろう、映してもいないもの、書いてもいないもの、演じてもいないものを、どれだけの精度で見せつけることができるか。今回の舞台で言えば、ラストのつまらないどんでん返しは観客が勝手に想像すればいいことじゃなかったか。
劇中人物のセリフを思い出す。「結婚詐欺の被害に遭った女はいつも『最後までだましてほしかった』と言うだろう?」まったくその通り、誠実な登場人物はすぐに真実を語り出し、おれたちは結局正直者のまっとうな告白を聞くハメになる。これはお話ですよ、ウソなんですよ、あなたたちの人生とは何の関わりもないんですよ。
ごめん、そんなのは青背景に白文字で一言「この物語はフィクションです」って書いてくれたらそれでいい。
そしていつものことだが、批判はすぐに自分へ返ってくる。数年前に共同脚本で作った舞台、おれはまわりの反対を押し切ってハッピーエンド的な結末を付け足した。おもしろさは及ぶべくもなく、この改変はまさに改悪の見本のようなものだった。だから今おれはここでこうして愚痴を垂れ流している、いつか忘れるほど良いものが作れるだろうか?いや、この後悔は死ぬまで続くだろう。
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*1:○○が何かを知らないひとは、映画観てくださいってことで