絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

「空気が読めない」と「空気が読めてない」の違い。

 「空気が読めない」とよく言われるひとは、空気が読めないんじゃないんですよ!ということを発見した!
 本当に空気が読めないひとなら、空気が読めないから無口になるはずなんですよ。いきなり頭に鉛のバケツをかぶせられて、音と光を遮断されたときに、そこらをウロウロと歩き回るひとはあまりいないからです。ところが、俗に言う「空気が読めない」ひとは、話の流れに関係なく自分語りを始めたり、論点がズレたまま話を続けたり、勝手に納得したり怒ったりする。なぜか。
 これはつまり、本人だけが「空気を読んでいる」わけです。むしろ「私は空気が読める」くらいに思っていると仮定しても過言ではない。
 だから、そういうひとには、何と「空気読め」と言うことすら難しい。なにしろ本人は空気読んだつもりになっているので、指摘をされても更に空気読んじゃったりして混乱は度を増してしまうのです。
 空気が読めないひとは、空気が読めないのではなくて、空気が読めていないことに気づいていない、もしくは空気は読むものではないということに気づけないひとのことなのです。
 結局「空気を読む」という技術はどこまでいっても完成することはなく、場を支配するのがうまい、場に溶け込むのがうまい、といった特殊スキルに特化するか、もしくは「空気読み」となって場の雰囲気を破壊し続けるほかに道はないのです。悲劇だわ。
 どうでもいいけど「空気読み」って言うと何かの特殊能力か、蟲師に出てくる蟲か、ナウシカっぽいから、みんな空気なんか読めなくていいので、頼むから読んでるふりだけはするな。

何がすごいのかをもう一回説明するよ。

ピンポン球をバウンドさせてゴールに入れる暇つぶし。
http://www.youtube.com/watch?v=aAjrFHcP2lw
すごい。
http://d.hatena.ne.jp/./screammachine/20060811#p1

 この記事mixiにも書いたんだけど、コメントで「この椅子は内側に曲がっているから平面よりも入りやすいのでは?」と指摘されたので「サラダボウルに投げ込んだ豆の軌道は予測できない。内側に傾斜しているということは、反対から見れば外側に傾斜しているということ、つまり平面の方が入りやすい」と反論したら「外側に曲がった椅子ならもっと入りづらい気がします」というような指摘があったので、再反論、っていうかそういうこっちゃないよ、というのを図で示すよ。
 わかりやすくするために、二次元で書いたけど、別に計算とかしたわけじゃない。
図1平面

図2外側に曲がった椅子

図3内側に曲がった椅子

 この通り、内側だろうが外側だろうが、面が曲がっているとき、ピンポン玉の軌道はどんどん変化してしまうので、最初にどこへ着地させるかは、どちらにせよ難しいんだ。じゃあ何で質問したひとは、内側に曲がっていたら入りやすいと思ったのかというと、前後じゃなくて左右の軌道が頭に浮かんだからなんだね。進行方向から見て右に曲がった球が左に傾斜した面に当たれば、左へ反射する。その球が右へ傾斜した面に当たれば、右へ反射する。それを繰り返せば次第に球はまっすぐな軌道を描くことになる(ような気がする)。
 でも椅子はまっすぐな斜面じゃなくて、ゆるい半球面だから、前後の軌道も変化してしまう。まあ、どちらにせよ、平面よりもまっすぐな軌道を描きやすいということはない、ということがわかると思う。