絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

テキトー仮説ですか。

熱・ライブ感に乗らなきゃ!あとで乗るなんてまっぴらだ!同時代性もねぇやつがよ!って言われちゃうよ!
http://chaosroute.g.hatena.ne.jp/nekoprotocol/20060703/1151933513

 マジレスすると、再放送運動に明け暮れた70年代。映画版で祭った80年代。テレビと雑誌の連動でやっとリアルタイムで祭れるようになったけど地域格差のあった90年代。そんでネット効果で更に祭りが早い00年代、みたいな。世代論じゃなくて、単に媒体の進歩が祭りを加速する、って話なので、テキトーってわけでもないかも。
 でも祭ってる内容は一緒なのな。○○のシングルをオリコンチャートで一位に運動、とか。

『鏡の法則』風の論法で言えば

「そんな風に思うあなたの心に問題があるのだ」ってことになるんで、もし上記エントリに対して「そんな風に思うあなたの心に原因があるのだ」って思ったり、ムカっときたり、何て冷たい奴だ!って思ったり、優越感ゲームだのおれの方が先に知ってたよゲームだとか思ったひとは、そんな風に思うあなたの心に問題があるのでその辺を紙に書き出したりすればいいんじゃないかな。
 こういうのをトートロジー、同義反復と言います。
 最近は『ものが壊れるわけ』を読んだので、心が「なぜ」壊れるかより「いつ」壊れるかが気になります。いやいや『ものが壊れるわけ』では、最近までものが「いつ」壊れるかは研究されてきたけど「なぜ」壊れるかは研究されてこなかった、って書いてるわけですが、心の分野では「なぜ」も「いつ」もあるけど、どうしてか「なぜ」を皆気にするよなあ、って思ったわけです。
 上記エントリと合わせて、参考図書はこの二つ。

ものが壊れるわけ

ものが壊れるわけ

 
自由は進化する

自由は進化する