敵も味方もいらん。
『鏡の法則』とかいうのがはやってて、ちょっといやだなあって思ったのでその話。
まずは別の話を引用する。ライトノベルについて。あまり関係ない話で引用してすみません。
なぜ主人公は敵と戦うのか?
「敵」がいることの嬉しさは、そこに「意味」や「物語」が生まれることだ。「退屈さ」の払拭ができることだ。(いわゆる嫌韓ってのは、この「敵」を作ろうとしてる行為なんじゃないかなぁと思う。)でも「敵」はいない。だから、辛い。(中略)
でもさ、結局「閉塞感」の打破は「恋愛」なのかよ、と私は思う。
http://d.hatena.ne.jp/maroyakasa/20060704#p1
何もない主人公に敵はいない、だから守るべきヒロインは主人公のそばによりそう。「全部こいつのせいだ」なんて言いながら満足げな主人公。
『鏡の法則』というのは、そういう話だ。
辛さの原因を見つけて、退治する。原因はヒロインでなくてもいい。
問題は自分の中にあって、それを周囲に投影しているから苦しいのだ、という説明。
本当は、そんなことより、まずは最初に問題そのものが存在していたのかどうかを疑うべきだ。
何事にも原因があって結果がある、というのは心地いい考えだが、本当はそうじゃない。ただ人間は「理由のない状態」に耐えられないから納得できる理由を作り出す。神様とか、深層心理とか。
そんな簡単にわかってたまるものか、世の中の人間全員が善意で動いてると思ってるの?芯から悪意だけて生きている人間なんて山のようにいる、そんな人間が君を食い物にしようとてぐすねを引いている。
それ、前に言ったよね。
『鏡の法則』ていうエントリが流行ったことで、心理学とか勉強してたひとはガッカリしてると思う。なんだよ、一言相談してくれりゃ、同じようなことを教えたのに。ていうか同じようなことを前に教えたのに忘れてる?!おぼえてないの?わかってなかったの?わかってなかったんだよ。君が一生懸命、彼に説明したことは、何も届いていなかった。だって彼が知りたかったのは、問題の解決方法じゃない、罪の分散方法だったんだから。
優しさが彼を追い詰める。
『鏡の法則』に共感したり救われた彼は、根本的に気が優しすぎた。誰かを心から憎んでしまったときに、その憎しみを内にこもらせてしまうタイプの彼にとって、自分の中に原因があったとする答えは、とても楽なものだった。もう誰も憎まなくていいんだ、だって悪い奴なんていないんだから!
「罪は全人類に分散される、誰も憎む必要なんてない、全てを赦そう。私は憎悪という罪を犯すことに疲れてしまったのです」
キリスト教が原罪を教えたのも、当時は正しかったはずだ。六道輪廻、カースト制度。おれが今この状況にいるのに、何か理由がなけりゃ辛すぎる。誰が悪い?神?政治?友達?家族?
ああそうか、自分が悪かったのか。
優しい彼らに祝福を、彼らはもう助けを必要としていない。
だって次は彼らが誰かを助ける番なのだから。
敵と味方。
さあ、答えが見えてきた。誰だって敵が必要で、敵を生むためには守るべき誰かが必要だ。
敵と味方という考え方さえすれば、退屈な世界から抜け出せる。そうだ、この教えを伝播しよう、皆がこの考えをするようになればきっと平和が訪れる、とにかく一度読んでみてよ!反対意見はやめてよね、だって間違ってはいないんでしょう?
間違ってはいないよ、それもまた救いの道だ。だけどちょっとだけ、進化論や経済学っぽい考え方をしてみようよ、誰が悪いのか、じゃなくて、誰が得をしているのか、ってところをさ。
そう、誰かが得をしていることと、誰が敵で誰が味方かってことは何の関係もない。だというのに「敵は身の内にあり」ってシステムが有効だと、なぜ彼らは認めるのか、そしてどうして、今まで彼はその有効なシステムを知らなかったのか。誰も教えてくれなかった?うそだあ、周りに一人も心理学を勉強しているひとがいなかったって言うの?抑圧なんて基礎の基礎じゃんかあ。
優しい彼に教えてあげよう、あの話は結局のところ、彼がそうあってほしいという解決法――罪はある、どこにでも、故に軽い――を教えてくれたに過ぎない。問題は何も解決していない、相変わらず世界は悪意に満ちている、どうしたって簡単な仕組みでは理解できそうにない。
この世界には敵も味方もいない、誰もが自分のために生きていて、その余剰部分が他人を生かしている、その関係はさまざまな要素がからみあっているけど、一口で説明できるようなもんじゃない。だからこそいろいろなひとがいろいろな方法で世界の仕組みを、人間の心の仕組みを読み取ろうとがんばってる。
そのうわまえをかすめとってる『鏡の法則』を、おれはいやだなあって思うよ。
(追記:http://d.hatena.ne.jp/./screammachine/20060706#p1)