絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

オタクの歴史認識

まぁ"オタクの歴史"で区切るわけだが。

テレワークといえば野田宏一郎氏、つまり野田昌宏宇宙軍大元帥閣下の会社だ(現在は代表を退いてはいるが)。この人がいなかったら、間違いなく今のオタク界は存在しなかった。
id:Hayashida:20050220

 彼が憤慨する理由は以下の記述による。

まあ、そのあたりはいい。企画書段階の言葉なら、この程度が合格ラインだろう。
id:bullet:20050213#p1

テレビ制作会社の日本テレワークがフジテレビのドキュメンタリー枠に提出を考えている企画だそうだ。フジはNONFIXを強化していくというのを広告批評で読んだのでその辺絡みだろうか。
id:kanose:20050214#akibamoe

こういうものを作って放送したいって言うモチベーションはどこから沸いてくるのだろう、とか思ったりする。肯定的だろうが否定的だろうが、高いところから語るってのは変わっちゃいないしなあ。id:anmonia:20050215

 オタクが歴史に敬意を払わないのは今に始まったことではないし、えらそうな物言いをする奴に限って間違える事が多いように見えるのも当然の話*1。敬意を払えないのは視野が狭いから。その狭さは思春期の狭さだ。オタクである以上、子供の玩具で遊ぶためには思春期を持続せねばならず、自然と視野は狭くなる。ドントトラストオーバーサーティ!と30オーバーのニートが叫ぶのである。
 だがまあ、それでいいのだ。そうやってグズグズに溶けてしまうのが、オタクという生き物のなのだ。
 そうやって、ドロドロの中から、有用な部分、役立つ知識だけを利用すればいいのだ。間違った知識や歴史認識を正す必要はないのである。つまり「バーカ」と言って殴っちゃえばいいのだ、とは敬愛する高橋ヨシキ氏の言葉だが、そういうことだ。

*1:えらそうな物言いは敵愾心を生みやすく、敵愾心のある人間は相手のミスを見逃さない。ミスの数が同じだとすれば、丁寧で腰の低い物言いか、バカを装った方が安全であるというだけのこと

手がすべって偏りすぎた

ところで一方にはこういう認識もある。

「自分が若い頃に影響を受けた小説・アニメを含むコンテンツ文化一般」について今語っておかなければマズイという風に思っている人が非常に多い(中略)そろそろSF第一世代(オタク的な世代で言うとマイナス1世代あたりになるが)で鬼籍に入る人が多くなってくる
id:otokinoki:20041205

そして前項で挙げた三方も、おそらく同じ「自分が受け継がなければ」という意思は持っているはずなのである。と希望を残して今日はおわり。

動く死体の物語考

 面白い映画の記事(もちろんこの場合の"面白い"は記事にかかってる)があったのでクリップ。

相手はタフなだけで動きは鈍いのだから、単に倒すだけならバリケードつくって銃並べて鴨撃ちすればいいのである。それでもその量に圧倒され、或いは何かのアクシデントで、包囲され近接されてしまう、という展開がゾンビの映画の醍醐味だろう
id:samoku:20050211

id:kanose:20050222
 適当に書いたことに目くじら立てるな、というご返答。わざわざすみませんでした。
 で、再言及すると気になった点がひとつ。

いまやオタクの大多数は歴史を知ろうと思わない人たちだ。
(中略)
歴史感覚の欠如に関しては、別にオタク特有の問題ではなく、サブカルチャー全般において起きている問題なんだけど、そこまでいれると大きな話になるのでとりあえず今回は言及せず。

 前項で希望などと書いたのであるが、ほんらいは希望も絶望もないのだとぼくは思っている。歴史認識が甘いとか、世代格差があるとか、そう感じるのは思い過ごしなのだ。なぜなら、サンプルには必ず偏りが出るから。
 たとえば「未来派」という芸術運動は1909年にイタリアでマリネッティらによって興された。それらの記録は書物で学べるし、ネットでも多くの資料を目にすることができる。ところが坂本龍一の『未来派野郎』について学ぼうと思っても、曖昧な時代の雰囲気までを活写した文章に出会うことは少ない(『未来派野郎』手に入りました〜みたいなのばっかりなのだ!)。
 そこで、両方の『未来派』をリアルタイムで知ることのできなかった世代には、知っている連中と、知らない連中の二つが生まれる。それは重要なことに見えるかもしれないが、二つある、という、ただそれだけのことだ。ことさら「歴史観の欠如した世代」をあげつらうことはない。なぜなら、当のぼくたちだって、もはや正しい歴史を伝えるための言葉、ほんらいの日本語を書いても喋ってもいないからだ。平安時代には濁音も半濁音もなかった、そのずっと前には記述するための文字がなかった、伝達はすべて口伝であった。ぼくたちは日々改変される記述技法の中で生きているのだ。
 情報は変化しない、情報を記述するために脳で翻訳する作業が、情報を変質させるのだ。その変質を指してひとは「情報が変化(劣化)した」と言うのである。
 いまやオタクの大多数が歴史を知ろうと思わない?いまや?それはいつの世代と比べてそう思うのか?
 違いなどはない、比べているのは世代ではなく「自分」と「他人」なのだ。

簡単に言うとな

 誰でも20代後半になると「歴史を受け継いでるのはおれの世代まで〜」って思うらしいぞ。それは知識や経験が積み重なって、歴史の側に飲み込まれるからなのだ。心配しなくても数年経てば同じことを若い連中が言い始めるのだ。
参照:オタクなんて存在しません!id:screammachine:20040221