丸谷才一の『忠臣蔵とは何か』を読んで、いま日本で何が起こりつつあるのかを考えてみようのコーナー。
というのを考えてたんだけど、うまくまとまらなかった。上記の本には「忠臣蔵は演目になる前から演劇的な出来事だったんじゃないか、復讐劇を民衆も期待していたのじゃないか」ということが検証してある。それで今度の選挙とからめて何か面白い考え方ができるのではないかと思っていたのであるが、とにかくぼくには知識がないので放っておいた。matterhornさんかdogplanetさんが書くかなあ、と予想していた、ってのもある。そしたら予想通りmatterhornさんが書いてくれましたよ!
この時代の民衆は、政治を求めていたのか、あるいは芸能を求めていたのか。それがよく分からないあたりも今と似ている。つまりこの時期においてこの二つはそもそも未分離だったのだ。
id:matterhorn:20050830
もっともっと書くべきだ。犬惑星さん(id:dogplanet)が書いてくれたらうれしいなあ。あとみんなこれを読め。面白いぞ!
- 作者: 丸谷才一,野口武彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1988/01/27
- メディア: 文庫
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まずはキーワードの解説文からここを引用してみよう。
あったりまえだ、おとがめがあってたまるか。解説にも書かれていないとおり、浅野内匠頭が吉良上野介を斬りつけた理由は、実はわかっておらんのである。突然切りかかられた上に罰を受けたのでは吉良だってたまらないではないか。
では、なぜ大石内蔵助以下の赤穂藩の藩士たちは討ち入ったのか。ここで丸谷さんは御霊信仰というのを出してくる。簡単に言うと「すげえ癇癪持ちだった浅野内匠頭がバカなことをして首を切られたので、その魂を鎮めるために吉良の首をささげよう」としたのだというのだ。怒りながら死んだ者の魂は怖い、将門も、道真も、あとあと何をするかわからんので祀られた。なるほど、何とわかりやすいことか。
しかし、ある事情から御霊信仰は廃れていき、戯曲として残った忠臣蔵は「正しい敵討ちの話」としての整合性を持たされていく。吉良は浅野を罵ったことにされて、浅野は「ハメられた」ざまをさらすことになったのだ。あーかわいそう。
もちろん、話はそれだけで終わらない。御霊信仰が廃れた現代に至るまで、忠臣蔵という物語が討ち入りの理由を曖昧にしながらも民衆に受け入れられたのはなぜか、そこを丸谷さんは突くのである。かっこいい。引用をさかのぼってみよう。
徳川綱吉といえば犬公方、生類憐みの令を出したことで有名だが、その実例たるや笑うに笑えぬ大悲劇である。禁じたのは動物をあやめることだけではない。
『徳川実記』によれば、この年七月、「市人会衆して戯舞し、あるは相撲などなす事、先々より制禁だれば、いよいよなすべかざるむね触れらる。」つまり盆踊りも相撲もいけないといふので、同じ禁令は前々年七月にも出た。これは大衆から娯楽を奪ふものだし、見方を変へれば御霊会の弾圧だらう。安上がりな娯楽を禁じられた人々は、憂鬱をまぎらす手だてを失つていよいよ悪政を呪つたに相違ない。
丸谷才一『忠臣蔵とは何か』講談社単行本P134より引用
単に生類憐れみの令に限らず、もっと広い意味での政治の被害者(たとへば親の仇を討ちながら鋸びきにされた中間)の霊もまた祀られたことだらう。江戸の人々は彼らの霊をなだめることで、これもまた政治的敗者である自分自身をねぎらひながら、その霊の力を押し立てることで災厄の退散をはからうとしたのである。それは我々の眼から見れば奇妙な祭儀であり異様な抵抗であつたが、江戸人の習慣としては、不幸に際会して困り抜いてゐるときのごく自然な善後策にすぎない。そしてこの場合、災厄とはすなはち綱吉を意味する。
丸谷才一『忠臣蔵とは何か』講談社単行本P135より引用
ああ、ほとんど引用してしまった。まあそういうことだ。