絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

再配信フリー。パクリとオマージュについて。

YouTubeを擁護している人のブログは、エントリー単位で自由にコピペして再配信してもいいんだと思う。
http://java.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/youtube_4977.html

 賛成。どんどんやってください。アイス・ナインみたく連鎖反応起こして、世界中にさまざまなおれの変種が広がればいい(きもい)。
 で終わらせてはアホの子みたいなので、ちょっとだけ真面目にこれについて考えてみよう。
 ずっと前から、まあ6年くらい前からおれは自作について再配信フリーを提唱している。映像に関しては出ているひとの肖像権もあるけど樋口と片山からはフリーの許可をとっている(二人とも映画に出たりしている本職の役者なんだが、こういうことには理解がある)。だから、おれの作ったものに関してはどんどんコピーしてどんどんアップしてどんどん共有してほしい。その場合にはもちろん著作もとの表記もいらんし、自分で作ったコンテンツのように見せかけても……まあ仕方ない。結果的にそう見えるというだけで、あえて主張しない場合もあるんだろうし。とにかくインターネットの風通しのためにはくだらないことにこだわっていられない。GIFアニメなんかは海外のボンクラ(推定)が自分のアイコンとして使ってくれたり、知り合いの知り合い(他人)が自分のサイトで「自作です」と紹介していたり。確認していないものを含めるとどこでどうなっているのかなんてまったくわからない。
 リンクしてほしいと思うのは、作品を良いと思ったひとが、より多くのおれの作品に触れる機会を損失してほしくないからで、どのみちおれの作品に触れる機会のなかったひとが、その一部でも知ることができたならそれはいいことだ。
 
 ついでにパクリとオマージュについて、元エントリとはあまり関係がない話。
 オマージュ、というか、愛のある模倣については看過されるのに、パクリは批判されることが多い。それはなぜか。オマージュはレシピを利用するが、パクリは出来合いのものを皿に盛るからだ。
 たとえばカレー(またですか)。カレー専門店に行って、何処其処のカレーに味が似ていたとする。それはレシピを模倣したのかもしれない。だがよりよいカレーを求める客の立場からすれば、レシピが共有され、改善されていくことには何の瑕疵もない。しかしカレー専門店で出されたカレーが出来合いの商品を皿に盛っただけであれば、どうだろうか。コンビニで数百円出せば食えるものを、数倍の値段で食べようと思うだろうか?
 ここに、なぜYouTubeでの再配布を擁護するひとが、自らのコンテンツを部分配信されることに批判的なのか?という問いへの答えがある。YouTubeで再配信されるものの多くは、元情報が読み取れるようになっている。出ているタレントが誰だとか、どこのテレビ局だとか、誰が監督のアニメだとか。読み取れないものの多くは、みんながなんとなく知っているものだ(北斗の拳とか、セイント星矢とか、キン肉マンとか)(全部ジャンプだな)。それらはテレビに出てくる芸人だって何の説明もなしにネタ化するし、それを見て「パクリだ」と怒る者もいない。パブリックドメインではないが、そのような扱いを受けるほど広く知られていると、配信側が思うからだ。コンビニで数百円かかるものが、タダで食えるのである。
 しかし、ブログの、しかもエントリを、リンクなしにコピペされたらどうだろうか。書いた人間は無名なのだ、文体から著作者を推定するなんてことは不可能だろう。それじゃ、誰が作ったものか、わからないじゃないか!そこらへんに生えてる草をコンビニで売るようなもんだ!……だから、矛盾が発生するのだ。自信がなさすぎると言ってもいい。そもそもお前のエントリなんて誰もコピペしないよ!バカ!うんこ!
 話がそれた。とにかくそういう矛盾は是正した方がいい。
 元エントリの原因となったこれを読んで思ったが

 私はWinnyなどのP2P型のファイル共有サービスを使って音楽や映画をコピーすることは犯罪であり徹底的に取り締まるべきだと考えているが、 YouTubeにテレビ番組の一部をアップロードする行動に関しては、「ある程度までは許容範囲として認めるべきではないか、必要であれば著作権法の方を変更すべき」と感じている
http://blog.japan.cnet.com/nakajima/archives/002994.html

 いや、ないだろ。ここからここまでは白、こっからグレー、これはさすがに黒、なんて線引きは、金を取るか取らないか、著作権明記をするかしないか、あたりでしないと誰も納得しないだろう。YouTubeに関しては、ログでアフィリエイト広告出すみたいに、映像のあとでそのソフトが買えるとかそういうサービスがあればいいんだろうけど、ソフト化されないもの(単発のテレビ番組等)では何の意味もないからなあ。
 まとまりがないまま終わる。

9年は長いか短いか。

 25才から9年間、俳優を目指していた男が、先日34才になり、所属する団体に退団届けを出した。自分の職業は俳優だ、と言うことは誰にでもできる。彼は俳優として食っていきたかった、俳優以外の仕事はしたくなかった、それは、叶わぬ夢と消えた。
 芝居をすることが、苦痛でしかなくなってしまった。
 退団届けには、そう書かれていた。
「はじめたのが遅かった」「34才職業フリーター」「親を養わないと」「才能に見切りを」と、誰もが彼を哀れみ、失った9年を惜しんだ。
 その話を聞いて、30年間詐欺師をやってきた男が、おれに言った。
「9年?短いなあ、それであきらめられるんだから、その程度のものだったんでしょうなあ」
 30年間のうち、半分は刑務所で過ごした詐欺師だ。その詐欺師が言う。
「一日を8時間で割ってみなさい、8時間も寝たらしっかり休めるでしょう。8時間も働けば最低限の生活はできるでしょう、ほら、残りは何時間ですか、8時間、そうですな、あなた8時間あったら何ができますか、1年間その8時間を好きなことに使ってみなさい、うまくならん道理がありますか」
 さすがは老練の詐欺師である、風呂にはいつ入るんだ、通勤時間はどこに含まれる、と質問する間もなく矢継ぎ早に34才の彼がいかに駄目であったかを証明してしまう。
「9年間休まず1日8時間芝居を続けたのかと、その上で疲れてしまったのかと問うてみなさい、そんなわけはない。私は3年前に彼を見ました、そしてつい数ヶ月前に彼を見ました。何も変わっとらん、うまくなったどころかむしろ熱を失って下手になっとった、それが答えですよ」
 さて、9年は長いか短いか。