絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

『GoGo』 第十四話 『Q多面体』

その時、その瞬間にわかっていることは驚くほど少ない。
そう、例えば名前、この僕を僕として知るための名前。

今僕が知っているのは僕があの女教師を角材で殴り殺してしまったということ。
殴り殺したその女教師と僕には関係があったということ。
殺人はくだらない理由で行われることが多いが、これほどくだらない理由も珍しいのではない。
あの人は死にたがっていたがそれは本当ではなかったのかもしれないと今僕には思えるということ。
そして僕が女教師を殺してからすぐに起こったできごと。
人を殺して自殺した女子の死体に暴行の痕があったと報道されたその日、僕は街でその女子とすれちがった。
隣にいた男のあの目、冥くて深い黒の闇。

今僕の目前にいる男の灰色に濁った眼球の遠く及ばない美しさ。
殺人者である汝が息子に刃を向けるお前。
お父さん親父パパダド。チチオヤ。
五十がらみのやせた小さな男。
「お前を殺して世間に詫びる」と怒鳴りやがる。
後頭部が歪むぬるりと這い上がる殺意。

今僕が知っているのは僕の右手親指が父親の左瞼の下に刺さっているということ。
父親が右手に持った刃が僕の脇腹に刺さっているということ。
路地裏で繰り広げられる惨劇。喜劇。
みっともない、親子で何をやっているんだ。
僕は死ぬかもしれないということがわかっている。
親父がわかっているかどうか僕にはわからない。

わからないことは怖いことだ、死んだら人はどうなるのか。
  死んで腐って土になって燐と窒素、植物の栄養になって。
    お父さん僕はお父さんが好きだったよ。

    お父さんは戦争に行く前は学校の先生をしていてとてもやさしいと評判だった。
    けれど戦争から帰ってきてお父さんは変わってしまったらしい。
    僕は戦争お母さんを殴るお父さんしか見たことがない。
    お母さんはいつも言っていた。
    お父さんは本当はやさしいのだ戦争があの人を変えたのだと泣いていた。
    今の僕にはわかるよお父さん本当は殴りたくなんかなかったんだ。
    お父さんも怖かったんだね。

  今僕の目前にいる少年の蒼く澄んだ眼球の美しさ。
  殺人を犯した汝が父親の眼窟に指を埋め。
  おまえ息子愚息我が子。マサヨシ
  十六歳の小さな体。

今わかっていることはひとつ、僕たちは死ぬだろうということ。