絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

えへん

ダグラス・アダムスの『宇宙の果てのレストラン』という作品の中に、ゴルガフリンチャム人
 
いま、ゴルガフリンチャム人という表記に自信がなくなったのでググったら「英国人の描く諦めの美学が米国版にはない」とか英国人から見れば俺もお前も黄色いサルのくせに何か知ったような事を書いてるクソブログが出てきたので腹が立って書くが、テレビ版の『銀河ヒッチハイクガイド』ははっきりいって低予算の面白バラエティドラマであって、テンポはぬるいし展開はダルいし見ていて眠くなる以外の要素があるとすれば俳優の演技と原作に準じた台詞ぐらいのもので、とてもではないが米国人が英国人俳優二人を招いて作った劇場映画版においてダグラス・アダムスが目指したものはもういい、ほうっておいてくれ。閑話休題
 
ゴルガフリンチャム人というのが出てくるが
 
腹が収まらないので再び書くが、ゴルガフリンチャム人というのは、ゴルガフリンチャムという星から追放された電話磨き係をはじめとする「役立たずのクズ」どもが古代の地球にやってきて、既にいた原住民を駆逐して地球を支配していまの人類の元になったんですよ、というジョーク的設定の中に出てくるゴミども(つまり俺たち)の事を指すのだが、映画版にはそれが出てこないからダメだとか抜かすゴミブログを検索して見つけた時の不快感たるや筆舌に尽くしがたくほんとバカは黙ってろ、はい。
 
もう、何が書きたかったのか、わからなくなってしまったが
 
とにかく、劇場版において原作からの改変で何が一番素晴らしいかと言うと、クズの末裔の主人公アーサーが「バックアップの地球から何か不必要なものがあれば取り除くよ」と製造者に言われて応えるのが「ぼくだ」という一言だ。もちろんそこには、地球から飛び出して旅に出ることを最上の目的とするトリシア・マクミランのため、というハリウッド的な表現はされているのだし、クズの末裔という設定もまるで描かれないけれども、これより諦念に満ちた台詞はないと思うし、小説五作目にして最後の作品『ほとんど無害』でようやくサンドイッチ職人として生きる目的を見つけたアーサー・デントの絶望の旅がこれから始まるのだぞ、続編だって作れるのだぞ、という意気込みがブンブンから回りしている様子さえ切ない。

映画の完成を待たずして逝去したダグラス・アダムスは、映画化のための新しい設定やシナリオのアイディアを豊富に残していたという。なぜなら何十年もの間、彼は自作が映画化されるという望みを与えられては奪われ続けていたからだ(http://home.u08.itscom.net/hedgehog/film%3F.html)。ダグラスの死後もおめおめと生き残ってぽかんと口をあけて映画版を見たファンたちは、死んだ人間のことなどすっかり忘れて、頭の中の残滓を愛でるようにあれが違うこれが違うと文句を言った。死んだ人間の残した業績の上でふんぞり返りながら何を作ったわけでもない連中が偉そうにこう述べたわけだ「私の知っている『銀河ヒッチハイクガイド』は、そうではない、えへん」。彼らがゴルガフリンチャム人の末裔であることだけは、間違いない事実だろう、えへん。