絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

地底衆

 地底にいて地底の事情を考えるとやたらに腹立たしくなり、不快になり、それを癒すように思いついて車に乗り、免許がないことを思い出して舌打ちをして車を降りた。ダーメダメダメダメ人間ダーメ人間人間と歌を残したのはキノコを食べて頭がおかしくなりUFOをやめなさいと医者に言われて素直にやめてしまった大槻ケンヂだが、用もなしにただ思い立ったというだけで高円寺から歩いて中野坂上に向かい、野太いちんぽのような自己主張を続ける青梅街道を通って濁り汚れくすんだ日をあびた雑居ビルにみとれている私がふと思い出すのは、その大槻ケンヂの姿だった。地底の光を浴びた雑居ビルからはもう三月の初めから骸蝉が鳴き、雑居ビルというくらいだから住んでいる雑居人も殖民した黒々とした異国の民たちも確かに私が今ここに立って見つめているというのに現実感がなく、なお見つめていると何者かが現れてくる。そのうち私の頭に浮かんだ大槻ケンヂをダメにしたUFOに乗った宇宙人がすぐそばにいる気がする。
 UFOに乗った宇宙人は映画館の出口で二回すれ違ったことがあるだけの大槻ケンヂの丸く刈上げた坊主頭に乗せられたニット帽を思い描き溜息をついている。ここがエリア51なら立っている宇宙人の肌は灰色で目玉は大きく顔の三分の一を覆うのかもしれないが、私には金星人でもレティクル座星人でもかまわない。白昼に物の影がくっきりと立ち現れ雫のように光がひび割れからひび割れへつたわる雑居ビルを眼にしたまま骸蝉の鳴き声の間に間に、オイオイとヘドバンしている宇宙人が、ここにいて、私をモッシュに巻き込もうとする。ピットを作ろうとする腕が私の顔を叩いて肩を押しやりまた大きく叩く。
 そうやって人は死んだし、人はこうやって生きていると思い、しかし妙にやわな地底だと嫌悪をなだめる事ができぬまま地上に引き返す。
 地底で一年、できるならそれ以上暮らしてこようと思ったのは色々理由があるが、妻子を地上に置き去りにしたまま高円寺の路上のダンボールにいると、地上が破壊されるのを見たくないから仕方なく地底へ行き、不安でしょうがないから半年で戻ってきた気がするのだった。それで友人の元カノが住んでいた空き家に私一人、月の半分も泊り込んで、ビデオカメラ一台持って、人の家に上がりこみ、何でもいいから話を聞かせてくれと頼み込むのが仕事になった。民俗学も神話学も、地底論も言ってみれば私の興味は無学な小説家の早とちりで、何ひとつ満足にわかっていない本としてあるという事だった。つまり私は本の中の登場人物に過ぎないのである。地底に発つ前に一枚、地底から戻ってきてから、帰上したのを聞きましたと文章をそえて一枚、御経のようなカヒミカリィのアルバムが島渡隆三君から送られてきて普通のプレイヤーで聞いたりmp3に変換してランダムで再生したり自前のCD-Jで適当にミックスしたが、この地底というアルバムもどこからでもどんなふうにでも聴くことができる。
 ビデオカメラという音も映像も記録し再生することのできる文明の利器一つ持って出かけるのはきまって地底に一人住む地底老人だが、私はそこで他の世間では生涯口を閉ざしたまま語らぬだろうと思われるような事実を話してもらう。男親がネズミと人間のハーフだったこともあって米の飯など口に入れようにも入れられず、指でぬぐっても濡れたパンくず一つ出て来ぬ薄いコーンポタージュに青白い顔を反射させては天井をながめて毎日毎日すすり泣き、あげくは十三の歳で色街に売られ、十四の歳で親のわからぬ子を孕み、またその子を食って生き延びた老地底嬢をして語らしめているのである。
 そうして地底人を撮影しながら襲い掛かる宇宙人との攻防に暇を潰されて私の処女作は産声を上げるまもなく私の手によって殺されたのであった。
 自分でケースから引き出しては丁寧に丸めたテープをあらためて見たときには驚愕したものだが、荒野に生きる男の常として昨晩泥酔したまま掌のなかで丸まっていくテープの黒くつやびかりしたさまに勃起した事や空っぽになったビデオテープの殻をハンマーで粉々にした事などが思い出されてくると笑うしかないのだった。ぐちゃぐちゃに絡み合ったテープの残骸をほどきながら、私は声をあげて泣いた。
 三十を過ぎたヒゲで顔の丸い男が野太い声で泣いていれば寄って来るのはハエかアブに違いなく、私はハエともアブともつかぬてらてらと脂で光った謎の蟲に全身たかられたまま泣き続けた。
 地底にいて地底の事ばかり考えていると、耳に飛び込んだアブかハエともつかぬ謎の蟲たちが繰り出す言葉の魔術にも惑わされるようになる、という私の理論を立証するかのように、地底の空洞をいっぱいに埋め尽くしたアブかハエは、いっせいのせとタイミングを合わせて私を崖から突き落とした。
 中野坂上の崖を落ちるとそこは山手通りと青梅街道の交差点である。
 頬を刺す朝の山手通りとはよく言ったもので、山手通りには一面に棘が生えており、その棘は朝方になると朝露を光らせながらよく尖る。もちろん朝露に見えるものは前日から山手通りを横断する相撲取りの漏らした小便であって、棘が刺されば相撲取りの漏らした糖分たっぷりの小便が傷口から入り込み化膿し腐りやがて膿の中から大小色とりどりの相撲取りが発生する手順となっている。頬に刺さった山手通りの棘をプチプチと抜きながら、私は相撲取りの発生時期に合わせて市場へ行って、相撲取りといくばくかの金銭を交換しようと心に決めた。
(霊長類賛歌 2006年10月4日より)