絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

自分の声。

 私の眠るソファは、部屋の中程にある。その背もたれの後ろに父は眠っている。夜分おそく、私は闇の中で意識を取り戻す。すると、まったく感情というものが感じられない小さくか細い声が、ソファの裏から聞こえてくるのに気づく。「あー」とか「きゃー」の入り交じったその声は、眠っている父親の口から漏れて、部屋に広がる。
しばらくすると父の声は「うう」とか「ああ」といったうなされ声になる。大きく息を吐いて、父はまた眠る。眉間の皺も消えて、すうすうと寝息をたてて。
 36人の少女を××して父が眠りについたのは、およそ10年前のことだ。はじめはテレビや雑誌から記者が取材に訪れてあれこれ聞いては不可解そうな顔で消えたが、父がちっとも目を覚まさないせいか、私の対応がまずかったせいか、数年経つと誰もいなくなった。
 私のまずさは今思えばひどいもので、たとえばあまりにひどいためか反感を買い、壁に落書きをされたり石を投げられガラスが割れたりしたこともあるほどだった。
 私は詰め寄る記者に、こう答えたのだ。「父に××された娘たちには気の毒だし×された××のかたがたにも申し訳ないと思うが、私は少女たちが父に××されている間だけはきっと幸せだったろうと思うのです。なぜなら私も父に××され×××だったときは、幸せだったからです。あなたにはわからないのです、36人の少女は父との××を望んでいたし、やがて皆さんもいつか××を××され×××××」
 少女たちを××したあと自室でうずくまりながらかなり深く後悔していた父を見ていた私は、ことさらに激しく父を賛美した。
 ある朝、ソファの後ろで父は死んだ。葬儀はしめやかに行われ、私は参列できなかった36人の少女のために父の骨を砕いた。
 そのあと私は自室に帰り、少しの水を飲み、ソファの後ろに体を横たえた。眠りは不意に訪れて、夢の中で私は叫ぶ父に抱きしめられながら奈落に落ちていった。