絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

「ふんぐるいなんとかふたぐん」「そこは思い出そうぜ」

 朝から辛い春雨ヌードルと甘いぶどう味のソーダ水でテンションがあがる。その勢いで昼は水炊き、白菜四分の一と鱈と鶏肉、飯二膳、食いすぎ。三時にピックアップされて埼玉へ行き、皮を貼る仕事に精を出す。来週公開なのでお楽しみに。さあなんだろう。前回と同じ蕎麦屋のカツ丼を食い、接着剤にまみれた天国と地獄の四時間半を過ごす。帰りにエビまんじゅうとイチゴのクレープを買って食べてしまう、だって寒くってさ。東京に戻りホットワインを呑み知り合いから来週末にあるライブのチケットを買って、なぜかナレーションのショートレッスンしてコーヒー飲んで今。
 この十年どうでしたか、みたいな話に参加した。考えたことはいろいろあるけれど、自分にとって本当にこの十年は「ほかの誰かに自分の価値を仮託する」ことをそぎ落とされてしまった十年だったなあ、ということだった。関係ないけどある人の本を手伝ったときのこと、聞き書きの原稿を再構成する仕事だったんだけど、バイト君が書き起こした文に「そこに自分を硬くする」って書いてあって吹いた。自分のナニを硬くするのかなあ。まあそういう意味でもおれはほかの誰かのためにナニを硬くすることはできなくなってしまったなあ。ええとつまり自分のためには硬くするわけだがって何の話だ。仮託、つまり自分の生きる意味であるとか必要とされたりとかそういう面倒なアレをですね、託することを拒否されてしまうという経験を立て続けにした。割と稀有ではないだろうか。そうでもないか。恨んじゃいない、むしろ感謝してる、やっと一人になれたよ。
 そういえば、帰りの電車で酔っ払った白人男性が、目が合うたびに微笑みかけてくるので微笑み返した。白人男性は近くの女性にぶつかっては「ゴメンナサイ」と繰り返したり、携帯電話を落として「Shit!」って言ったりしていた。がんばれ白人男性、生まれたときも一人なら、死ぬときも一人だ。ただどうしようもなく、言葉でおれたちはつながろうとするのだが、そこには大きな壁があるのだよ白人男性。脇の下に女の子をはさむんじゃない。