絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

かんがえるはやさ、思考の速度。

 速度とは、時間を区切ってその中でどれだけ移動しているかをはかる目安のことだ。だから「思考速度」というときは、まず思考にとって移動って何なのかを示さなきゃいけない。
ケータイ小説大賞」というものを獲った小説が、たいそう「面白い」という話を聞いて、読んでみた。「第3回日本ケータイ小説大賞:あたし彼女」。確かに面白い。この作品には、言葉を扱うときに大切な、あるテクニックが使われているからだ。
 文章を読むと、書き手の思考を追っているうちに、感情や考え方まで書き手と似てくるのを感じる。あるいは、あまりに自分と違う書き手の感情や考え方に、拒否感をおぼえるだろう。
 ぼくはそれを「チューニング」と呼んでいる。調律、同調、といった意味のある言葉で、ラジオを受信したり、ギターの音を合わせたり、といった場合に使われる。チューニングのうまい作品は読者を調律し、同調させるし、それを好ましくないと思う読者からは徹底的な批判を浴びる。
 チューニングの具体的な方法はいくつかあるが、まず区切り方と量の違いを発見して比率を換算すると便利だ。たとえば、一段落に400文字ある小説の文章と、三単語ずつで一段落のケータイ小説を段落ごとに換算したら、一文字あたりの単価がおかしなことになるだろう。1ドルが1円ではないように、区切り方が違えば比率も変わる。
あたし彼女」は改行のレベルでチューニングしているから、ちゃんと読まなくても見るだけで思考を追える。これが意図的なチューニングなのは、あとがきとを読めばわかる。改行の法則が違うからだ。
 この、あとがきと本文の違いに気付くことが、思考の移動だ。「改行の多いケータイ小説」を読んでいたぼくの思考がA地点にいたとすれば、あとがきを読んで「チューニング」に思い立ったぼくの思考はB地点に移動したことになる。B地点から見るA地点と、A地点にいながら見るA地点とでは、見え方も違う。この移動にかかる時間を、思考速度と呼ぶ。
 ちなみにこの文章は、頭から終わりまで一歩も動いていない。動くのは、この方法を手に入れた、あなただからだ。
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