絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

「わからない」ままでいる勇気。

 おれは無神論者なんだけど、前は不可知論者だった。つまりいまは「神なんていねー!」って言ってるけど、前は「いるかいないかなんてわからねー!」って言ってたってこと。じゃあ何で「無神論者」になったかというと「わからない」って答えるおれに「じゃあいる可能性はあるんですね?」って言ってくる奴がいるからだ。そういう奴らのズルさに耐えきれず、わからないけど多分いないな、と思っていたおれは、その「わからないけど多分」を削って一応「いない」と思うことにした、ということだ。

一応きめる、考え続ける時間はないから。

 別に神のことに限らず「わからない」ことはたくさんある。感じ方に個人差のあるもの、専門家の間でも意見の分かれるもの。でも全部「わからない」ではどうしようもないから、おれたちはこうして、一応「ある」「ない」というふうに物事を分類する。
 それは「一応」のことであって、絶対にそうだ、というわけじゃない。たとえば進化論は、生物の現状を説明する考え方の中では一番正しそうだ、とおれは思う。だけど絶対じゃない。もしこの考えを覆す証拠があって、別の考えが正しいならば、おれは「一番じゃねえな」と思うだろう。
 「わからない」ままでいるのは、とても怖いことだ。世の中には「わからない?じゃ、あるんですね!」「わからない?じゃ、ないんですね!」と言ってくる声のでかい奴が大勢いる。そいつらは「わからない」ままでいるのが怖くて、どっちかに決めちゃった奴だ。

無神論者は殺されても仕方ないらしい。

 余談だが、おれは以前ある場所で、元刑事のおっさんと話した。そのおっさんはいかに自分が過去の武道大会で強かったかを語り、風邪をひいているおれの手をとって「簡単に折れるんです」と笑いながら極めるフリをしたり、手首をひねろうとした。そして延々、2chで読めるようなレベルの中国と韓国の悪口を言いながら「宗派は何ですか?」と聞いていた。
 いいかげん疲れていたおれは「無神論者なので、宗派はありません」と答えた。
 おっさんは顔色を変えて「言葉には気をつけた方がいいですよ、ここが別の国なら殺されてもおかしくないですよ、そう思いますけどね」と言った。おれは曖昧に笑って「日本に住んでいて良かったです」と答えた。

怖いのは、目をつぶっているからだよ。

 筋肉や知識や武器でいくら強そうに見せても、臆病者のケツはぷるぷるとふるえている。味方がほしい、仲間がほしい、同じ敵を殺してくれる同志がほしい。「さあ、君の宗派は何だい?一緒に共産主義者をブチ殺そうぜ!何だって?君は無神論者なのかい?じゃあ死ね」面白くとも何ともない、殺されるのは嫌だけど、殺すのも嫌だなあ。なあおっさん、何がそんなに怖いんだ?
 おれだって「わからない」ことは「わからない」って言いたい。でもズルするじゃないか、こっちが「わからない」って言うと「わからない?じゃ、あるんですね?」って続けるじゃないか。おれは「わからない」って言ってるんだ。ループする、話、通じない。
 だから仕方ないんだよ、おれは99%わかってることを「わかる」って言うしかないんだ。結局あの元刑事と同じだ、割合で言うと1%くらい同じだ。おれは違う考えの奴を殺したくはないし、誰かの腕をとって「本当なら簡単に折れるんです」なんて言いたくない。でも99%しかわからないことを「わかる」と言ってしまう。言うしかないんだ。ループする。

納得できたら、すぐには信じない方がいい。

 納得できる話ほど、うさんくさいものはない。物事を本当に突き詰めて考えていくと「納得できる話」なんてそう多くはない。たとえば数学や語学のように、記号で表現できたり、化学のように実験できるものは、間違っていれば答えにつながらないし再現性がないから、そもそも納得なんてする必要がない。そして、宇宙や素粒子の話は、たとえ話でしかわからないのだから、本当に納得出来ているわけじゃない。
 恐ろしいのは、たとえ話のくせに、とてもわかりやすくて、納得できてしまう話だ。それは少ない言葉と、単純な理屈で出来ているから、すっと耳に入ってくるし理解もしやすい。そのまま誰かに教えることも出来て、伝染力も抜群だ。しかも、一度納得した理屈というものは、いくら「証拠」がそれを反証しても、簡単に覆せるものでもない。何しろ納得してしまったのだ。憎しみとか、怒りとか、消せないやつにはもうどうしようもない。

「わからない」ままでいられる世界は、かなり遠い。

 いま「わからない」ままでいるのは、とても勇気のいることだ。なぜなら世の中には「わからない」フリをして、いろいろな物事を自分の都合の良い方に引っ張ろうとする奴が大勢いるからだ。おれはきみを見て、本当に「わからない」ひとなのか、それともズルをしているだけなのかは、区別はつかない。
 だから「わからない」勇気なんていらない、と、いまは言っておこう。「一応」わかっておくために、いろいろなことを調べよう。ズルをしてる奴に「わからないでしょ?」って言われたら、本当にわからないの?と聞いてやろう。

追記

で、何で突然、こんな話を書いたかというと、このニュースを見て憤慨したからだ。

 政府は同日の閣議で、民主党の山根隆治参院議員の質問主意書に対し、「地球外から飛来してきたと思われるUFOの存在を確認していない」とする答弁書を決定。文部科学省によると、「UFOに関する答弁書は初めて」という。
 ところが、町村氏は記者会見で「政府の公式答弁は極めて紋切り型。私は個人的にはこういうものは絶対いると思っている」と反論。「そうじゃないと、ナスカ(南米ペルー)のああいうの(地上絵)、説明できないでしょ」と述べた。
http://www.asahi.com/politics/update/1218/TKY200712180359.html

>ナスカ(南米ペルー)のああいうの(地上絵)、説明できないでしょ
 これ他国の民族文化に対する侮辱だよ。しかも最悪の部類。
 答弁全文はこれ。該当部分を引用しておく。

「うーん、まあ、あのー、政府のそれは公式答弁としてはですね、UFOの存在は確認していない。だから、対策なども特段検討していないという極めて紋切り型の答弁しかないだろうと思いますけれども、あのー、私は個人的には、こういうものは絶対いると思っておりまして。個人的な、個人的な意見でありまして、政府答弁は政府答弁であります。そうじゃないと、いろんなところにあるね、ナスカ(の地上絵)のああいう、説明できないでしょ。と、思っているんですけれどもね。ま、ちょっと、これ以上広げないようにします。どうも。毎回、こういうご質問をお願いいたします」
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071218/plc0712181819012-n5.htm

 一応>ナスカの地上絵-Wikipedia
 日本版Wikipediaに書いてあることだし(一次資料じゃない)、本当に正しいのかどうかは「わからない」。でも少なくとも「説明できない」ってことはないだろう。とにかく、うちの国の官房長官は、1500年ぐらい前のペルー人と、ナスカの地上絵について真面目に研究しているひとたちを侮辱した。これだけは「わかる」。