絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

お題:2007年をしめくくるにふさわしい、画期的な新しいハガキとは?

■ そのハガキの詳細
以下のA、B、Cにあてはまる語句をお答えください(必須)。
そのハガキは、最近はやりの(A)にヒントを得て、(B)という機能を搭載していた。その結果、ハガキの流通量が5倍になったという、この画期的なハガキの名前は(C)。
■ ハガキの図解
以下にそのハガキを図解してください(必須ではありません)。

百式ポイント企画『大人気!画期的なハガキとは?』より。
「最近はやり」と言われても、世の流れに鈍感なおれにはピンと来るものがない。そこで「最近」の尺度を広げて考えてみることにした。つまりこの応募要項の定義する「最近」が「2007年」の流行を指すのであれば、それをさかのぼってやろうと思ったわけだ。もちろんさかのぼると言ったって、ただ懐古趣味に陥ってはならない、なぜなら「巨人・大鵬・卵焼」は、現在はやっていないからである(初手からずいぶんさかのぼったな)。
 過去にはやり、現在においてもはやり続けているもの。そして今までハガキには使われていなかったもの。このままでは無限の候補があらわれて、おれはフレーム問題の虜になってしまう。ここはやはり「すでにハガキに使われているもの」を定義することで、近似値をはかりつつ、使われていないものを探すべきだろう。

ハガキ+最新の技術=画期的なハガキ

 ハガキがいつごろ生まれたものなのかは諸説あるが、日本では明治時代に「ハガキとはこれこれこういうもんだ」という風になったらしい。四角い紙片に、住所と名前を書き付け、切手を貼り、郵便ポストに投函する。この定義からすると、ハガキに似たものとしてはまず「四角くて、文字が書いてある」という点から「手紙」が浮かぶ。ページ数を増やせば「本」になる。電子機器を用いれば図書館一棟の本を手のひらサイズに圧縮することも可能であり、これを電信技術によって配送すれば……ああ、Eメールか。
 では次に「住所と名前を書き付け、切手を貼る」という点に注目してみよう。切手とは何か、金券である。普通、硬貨や紙幣の形であるものを、一枚の紙片と換金する。そもそも硬貨や紙幣そのものが金(もしくは共同体内外で価値があると認められたもの)の代替物として生まれたのだから、この切手をどうにかするのはさかのぼりすぎというものだろう。
 次に住所と名前について考えてみる。明治時代、多くのひとびとが個人の名字を得たという。そしてそのころに定められた名字は今でも、古びることなく使われている。であるからして、これはかなり「明治」という時代の流行を反映しているのではないかと思ったが、よく考えてみると名字は別にはやってるから皆がつけたわけじゃなく(中にはそういうのもいただろうが)、公的には「つけなさい」と言われてつけたものなので「はやり」という定義からははずれてしまう。
 ちなみに「明治時代+流行」でググると「コレラ流行」が多くヒットするが、病気の流行と「はやり」は別であるような気がするもちろん個人的なフィーリングの問題なので、もしかしたら誰かが「コレラ+ハガキ」を融合させた新しいアイディアで勝負をかけてくるかもしれず、それを考えると夜も眠れない。夜、夜は眠るものであるが、おれは難儀なことに電気を煌々とつけたまま寝る癖がある。しかも明るくて眠れないので目の上にタオルなどをかけて寝る。アタマオカシイと思われるかもしれないが、そうしないと眠れないのだから仕方がない。
 電線網が整備され、各家庭に電球がぶら下がる前には、おれのような人間はどうやって眠っていたのだろうか。あっ、電気、そうだ。

■ そのハガキの詳細
そのハガキは、最近はやりの「電球」にヒントを得て、「帯電する」という機能を搭載していた。その結果、ハガキの流通量が5倍になったという、この画期的なハガキの名前は「電気」ハガキ。
■ ハガキの図解

 うむ、すばらしい。同時代には「電気ブラン」と称する「帯電していない酒(名前に偽りあり)」があったぐらいで、それに比べてもこの電気ハガキは帯電しているだけよほどましであろう。ちなみに私は「電気ブラン」が好きであり、この商品の価値をおとしめるものではない。
 さァ、この電気ハガキなら「最近のはやり」でもあるし、流通量も五倍になるだろう、五倍?あっ、見落としていた、なんということだ。どうしてハガキが帯電しているからといって、流通量が五倍になるだろうか。根本的なところを見逃していた、この新しいハガキは「流通量が五倍」なのである。「十倍」でも「三倍」でもなく「五倍」になるために、どんな機能が最適だろうか。
 まず物の量を増やすのに、どんな方法があるだろう、ぱっと頭に浮かぶのは「繁殖」だが、ハガキは生物ではないので……いや、そんなことはない、ハガキが生物であったなら、繁殖は可能だ。ハガキのように平べったくて白い生物といえばイカが浮かぶ。イカの繁殖力ならその量を五倍にすることも可能だろう。生きたイカを搬送するのだから、イカ専用の郵便路を作るべきである。道路の横に通る細長い「イカ路」を、遺伝子操作されて体に文字を浮かび上がらせた大小さまざまなイカがすべるように走っていくだろう。しかし、明治時代にイカがはやったという記録はとくにないので、この案は残念だが却下とする。
 ほかに、物の量を増やすにはどんな方法があるだろう。ひとつのものを五つにするには……分割というのはどうだろう。一枚のハガキを、五つに切り分け、別々に送るのだ。届いた先で合体させると、一枚のハガキになる。問題は、長方形を正確に五分割するのは難しいという点だが、それぞれのサイズを変えても良いなら容易に可能であろう。
 別々に届いたハガキを一枚に組み立てるときのよろこびは……想像するに、まあさほどでもないな。これが数十枚に分割されていればパズルとしての価値もあるが、五分の一では完成形も予想しやすいだろうし。第一何で切手を五倍も使わなきゃならないのかが、よくわからない。ダメだ。
 「繁殖」も「分割」も役に立たないとなると、あとは残された「5」という数字から何かを連想するしかないだろう。5といえば素数だが、それを言ったら1も2も3も7も11も素数であり、あまりこの件には関係ない気がする。ふと思ったが、人間の手足の指も5本である。ということは、画期的なハガキの機能には手足の指が関わるだろう(ちなみにイカの手足は左右5ずつの計十本であり、タコなどと比べてもイカは人間に近い。返す返すも明治時代にイカがはやらなかったことが残念でならない)。
 では手足の指が五本であるからといって、どうしてハガキの流通量が五倍になるのか。どうやらおれは勘違いをしていたらしい。指の数など関係あるか、五倍になったのは、ハガキの流通量であって、ハガキの量ではないのだ。

混乱し、世界各地に散った。

 そもそも、流通量の増減は、ハガキの形態がどうあろうと変わらない。ハガキはプラットフォームでしかなく、その中に載せる情報が五倍にならなければ、流通量は変わらないのである。ならばいっそ明治時代などという「最近のはやり」は捨てて、もっと尺度を広げてみようではないか。そもそもハガキに使われている「文字」というものの起源までさかのぼってやろうというのである。

■ そのハガキの詳細
そのハガキは、最近はやりの「文字」にヒントを得て、「解読するのに五枚必要」という機能を搭載していた。その結果、ハガキの流通量が5倍になったという、この画期的なハガキの名前は「バベルの」ハガキ。
■ ハガキの図解

 あまりに画期的すぎて、誰もそのハガキを理解できないような気がする。いかん、これでは流通量どころの話ではない。どうもさっきからふしぎに思っていたのだが、おれの思いつく案は全て「強制的に流通量増大」なのだな。これならいっそ「ビッグブラザーが見ている五倍ハガキ」とかでもいい気がする。何の意味もないが、国家のために同じハガキを五枚書くのである。

繰り返し、繰り返しハガキを書くのだ。

 もう面倒くさいので適当に書くが「最近のはやり」で検索するとこんなページが出てきた。

最近の女の子たちの唇が光っていることに、おじさんたちは気づいてるかな?
これはグロスというのである。みずみずしい唇を演出してくれるスグレものである。
最近のはやりもの(2)グロス

 ああそういやデコなんたらゆうのもはやってたな、などとぼんやり考えた。携帯電話などに飾りをつけて、凝ったものになると本体よりもデコ材料費の方が高い値段になるらしい。まァここで「デコハガキ」などと思いつき「いやもうあるから」と諦めたあなたは思慮が浅い。何のためにおれが検索したと思っているのだ。「スグレものである」のあとにはこう続くのである。

グロスにはチューブになっているもの、口紅のようにスティックになっているもの、クリームのように平べったく丸い容器に入っているもの、があるが基本的には使い方は同じ。口紅を付けたあとでこれを上に重ねる。それ自体に色の付いているものも多いので、微妙に唇の色が変化する。この過程もまたタノシイものである。

 そう「この課程もまたタノシイもの」がポイントだ。要は流通量が五倍になればいいのであるからして、何も郵便料金が五倍になる必要はないのである。一枚のハガキを5度まで使える、送られたハガキはさらにデコって送り返す。送るたびに変化が楽しめる。単なるデコハガキではなく、再び楽しめる「リデコハガキ」とでも呼ぶべきだろう。

■ そのハガキの詳細
そのハガキは、最近はやりの「デコ」にヒントを得て、「リデコ」という機能を搭載していた。その結果、ハガキの流通量が5倍になったという、この画期的なハガキの名前は「リデコ」ハガキ。
■ ハガキの図解

 さて、というわけで、相互コミュニケーションツールとしての「ハガキ」を提案してみた、これならアナログである意味が最大限活用されるし、何より楽しそうだ。こうなってくると「五回」という奇数制限すら「購入意欲」を刺激するように思えてくるから面白い。二回ではダメだし、六回でもダメだ、五回でなければ。
 問題はハガキの値段が五分の一になってしまうことだが、まあ流通量が増えればいいのではないだろうか。
 あと、何の関係もないがアフィっておこう、ideaxideaから訪れるはずの数万人がこの本を買えば、おれの生活も間接的にうるおうわけであることだしな。生まれてはじめてアフィで金がもらえるかもしれない、ドキドキする。

神は妄想である―宗教との決別

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