絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

いい感じのエントリに注意!3つの「過ぎやしませんか」

 いい感じのエントリを読んで、なんか目が覚めたような気がすること、ありませんか。モヤモヤが晴れて、頭がスッキリした感じ。なんだか少し成長しちゃった?みたいなエントリに出会うと、ひとにも教えたくなるものです。そこで、公開ブクマを利用して、そこにちょっとコメントつけちゃったりして。楽しいですね、おれもよくやる。
 でもね、ここで振り返ってみると、まったく不備のない、完璧なエントリなんてものは、そう多くない。言ってる内容は良いのに、余計なことが書いてあったり、そのひとの他のエントリを読んだら別に面白くなかったり。
 何ででしょうね。もちろんそれには理由があります。
 誰だって、生きているうちの、二度か三度は、ひとの目を覚めさせる「いい感じのこと」が言えるものです。だから、最初は、ブログを書いてるひとは「いい感じのこと」を言うプロではないので、コンスタンスにいい感じのことが書けないのだと思うかもしれない。でもね、その「いい感じ」ってどこに生まれたものなんでしょうか。あなたはその文章のどこが「いい感じ」だと思ったのかな。
 ブログのエントリに限らず「いい感じの言葉」に出会ったら、三つのことを振り返ってみてください。ブクマするのも、誰か友達に教えるのも、そのあとでも遅くないはず。

1.その言葉、わかりやす過ぎやしませんか。

 まるで自分が考えたことであるかのように、すらすら頭に入ってくる!これはすごい!なんて思えたら要注意です。真実は苦いもの、現実は複雑で飲み込みがたいもの、あまりにするっと飲み込めるようなら、それは「前に聞いたことがある」か「自分でも思いつける程度のこと」でしかありません。
 最近読んだいい本の話をしていて、先輩や同僚が「ふーん」と少し不快そうな顔をしたことはありませんか? たぶん、口には出さないけど、その本に書いてあることは、きっと以前に先輩や同僚があなたに教えたことと同じなんですよ。ただ、ちょっと言い方が違うだけだったり、本の著者が有名だったから、あなたの言葉への姿勢が違っただけなんです。

2.その言葉、気持ち良過ぎやしませんか。

 もし、有名なひとの言葉を引用しているエントリにぐっと来たら要注意です、だってそれ、有名なひとのセリフにぐっと来てるだけですからね。剣道三倍段、なんて言いますが、引用は槍より強いです。本文の解釈にぐっと来ましたか?有名なひとの生き様とか死に様を思い出してぐっと来てるだけじゃないですか?
 また、自分が普段から抱えている悩みに直接切り込んでくるような言葉にも、気をつけましょう。その言葉にぐっと来たのは、あなたが自分の人生にぐっと来ているだけかもしれません。友達はあなたじゃないので、あなたが感じるほどにはその言葉にぐっと来ないかも。

3.その言葉、かっこ良過ぎやしませんか。

 なんかもう非の打ち所のない聖人君子だったり、革命の闘志に燃えてたりするくせに、他のエントリではそうでもない。何で?
 言葉ひとつじゃその本人がどんな人間かなんてことはわかりません。だからって見た目で判断して、それからずっと「最初に見た目で判断したこと」をひきずってもいけない、それは偏見というものです。
 「調子のいい奴には気をつけろ」なんて言いますが、誠実さは見かけだけじゃわかりません。ひとにはいくつも面があって、それは様々な局面であらわれてくるものです。小説や偉人の言葉に感動するのは、そこに自分たちにはできない偉業が含まれているからです。そこにシビれるし、あこがれるわけです。
 何もしたわけじゃないひとが言う、かっこ良い言葉の裏に、どんな意図があるのか。よーく考えてみましょう。

さて、思い当たるフシはありましたか。おれは自分の文章に思い当たるフシが多くて悶絶しました。