絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ほんとうは来ないバスに乗ってあのこはどこかへ行った

 子供の頃を思い出すのは、とても恥ずかしいことだ。思春期にあった様々なことが、普通に思い出せるようになるには、ちょっと時間がかかる。そして、思い出しても恥ずかしくない年齢になった頃には、すっかり細かい事は忘れてしまっている。結婚を前提につきあいはじめたわけではないけれど、今の恋人とはもう五年も一緒に過ごしていて、なんとなく離れがたいことになってしまった。どうして今のような状態になったのか、良くわからない、だけど、ひどく懐かしい。子供の頃の記憶は、その感じにとても似ている。
 つきあいはじめた頃は、まだ私は子供だったと思う。そして今、今の私は? 肉体も、精神も、子供ではないが、どこかがまだ、子供のままだ。
 大学で東京に出てきて、中退してビデオ製作会社のディレクターになった。オフの日は、ハンディのデジカムを持って何かを撮っている。別にドキュメンタリーを気取るつもりはない、ただ、撮っておけば、私はそれを忘れてしまえるから、特別な日には必ずビデオを撮った。本棚にはビデオテープの棚がある、簡単に見積もっても数十万円分の記録装置がこの棚に入っていて、その中にはもっともっと価値のあるものがつまっている。バックアップもなく、磁石を近づけたら消えてしまう記録たち。なのに、私はこれを、厳重にしまおうとしない。無造作に棚に置き、年に数回、整理という名の並べ替えをする。
 ある日、数年ぶりに同窓会の通知をもらい、私は地元へ帰った。
 同窓会の通知は、ふと、あのこのことを思い出させてくれた。"あのこ"は卒業の前の日に行方不明になって、それっきり。親が夜逃げしたとかなんとか。私たちの中では" あのこ"は学校が嫌いだから、卒業式をサボっただけだって話になってた。行方不明の顛末は知らない。
 同窓会の会場には、見覚えのある顔があった。それでも十年以上会ってないと、誰だかはすぐにわからないものだ。私は意を決して、見覚えのある顔に、声をかけた。
「まっちん、久しぶり」
「わあ、来てたんだ」
 大正解。まっちんこと松岡は、インテリの風貌を保ったまま、化粧も薄く、順調に老けていた。細くてとがった鼻とあごは、美人といえなくもない。銀縁のメガネだけは、当時と違って少しおしゃれめいていた。
「下っちも、鍋やんも来てるよ」とまっちんが笑った。
 松岡と下山と鍋島と"あのこ"と私は、放課後の友達だった。学校の中であまり居場所がなかった私たちが、気が休まるのは美術室だけだったから、自然と集まって自然と友達になった。会場に、あの子はいなかった。
 十年ぶりの同窓会で、顔もおぼえていない人ゴミの中から、四人が抜け出すのは、まあ、自然の成り行きだった。駅の近くの居酒屋で、私たちは呑んだ。すると、誰ともなく"あのこ"に会いに行こうという話になった。
 あの時、夕方の美術室で、隠れて煙草を吸いながら"あのこ"は言った。
「卒業してさ、十年後に学校が残ってたら、ここに集まって酒をくみ交わそうよ。こんなくだらない所に三年間も閉じ込められてた恨みを晴らそう」
 私たちは夜の学校に忍び込んで、美術準備室の扉を開けた。見覚えのあるトルソーや、資料用の複製画がぼんやりと青く光っていた。私たちは"あのこ"の名を呼んだが、当然人の気配はなかった。なんだか悪い事をしているような気がして、子供に戻ったような楽しさをおぼえた。持ち込んだ酒をちびちびとやりながら、私たちは思い出を語り合った。私はなんとなしにビデオを回して、三人のインタビューを撮った。酒も入っていたから、言葉はいくらでも出てきた。
 そして、朝が来た。気がつくと、床で全員寝ていた。始発の駅で、私たちは再会を約束して別れた。そして数日後「ビデオをダビングして送って」との電話を松岡から貰った。まだ観ていないから、編集して送るからと言って、電話を切った。
 いやな気持ち、というわけではなかった。ただ、見てはいけないような気がしていた。撮ったものを見直すなんて、ひさしぶりだったから、と、私は自分に言い訳をした。
 テープを巻き戻して、再生ボタンを押した。モニターに映った映像はざらついていて、暗い校舎の中でライトも点けずに撮ったから、顔の判別も難しい。
 しばらくすると、私の声がカメラの後ろから聞こえた。
「夜の校舎に集まった三人に質問です。学校は好きですか嫌いですか?」
 早送り
「嫌い嫌い、だいっ嫌い。何がって、授業が。毎日決まった時間に起きるのが苦手だったし、椅子に何時間も座っているのが苦痛だったから。あと、授業の内容が全然わからなかったから、頭悪いんだ。テストも放棄してたし」
「最後の頃なんて、昼過ぎに行って、美術室で絵を書いてるだけだったよ」
「一度だけヤンキーの、ほら、神田達と昼休みに抜け出して遊びに行ったけど、楽しくなかったな。神田達は朝早くに学校に来てて、あたしはやっぱり十一時くらいに行ってさ、昼休みに出て行ったから、休んだのと同じだったんよ。何度か改善しようとも思ったんだけど、だめ。学校行く途中に公園があってね、ベンチに座ると眠くなるの」
 早送り
「私は、学校好きだった。学校に行けば皆に会えたから。私の家は学区のギリギリにあって、小学校の友達とは別の中学になってたから、学校に行かないと友達に会えなかったんだ」
「朝早く学校に行くと社会科の山崎先生が花に水をやっててね、よく話をした。山崎先生は、授業中にギターを弾いたり妹尾河童の本からコピーをとってプリントにしてた先生、変わった先生だったな。あたしらが三年生になった時に地方に飛ばされたんだ確か」
「誰かが親に『受験の為にならない』と言ったって聞いた。もっと悪い噂も聞いたけど、話したくないよ。学校っていう空間は好きだったな、毎日行く場所があるってのは、気が楽になるよ」
早送り
「嫌い、なのかなあ。休み時間は一人で文庫本読んだり寝たりしてた。一度さ、隣の席の男子が『何読んでるの?』って聞いてきたから読ませたら、それから話してくれなくなった。えーと、澁澤かな」
「部活は入ってたけど、文芸部。部室行ったら先輩の頭にいっぱいフケがあったから行くのやめた。あとテーブルトークだっけ、ゲームしてたから」
「美術室でさ、自意識満載のフリーペーパー作って、駅前の古本屋に置いてもらったりしてた。恥ずかしいなあ。授業は別に嫌じゃなかったけど、体育は担当の教師が嫌いだったからボイコットしてた。三年間一度も出てないよ、授業も、体育祭も。でも数学と国語は出席率良かった、これ自慢ね」
 早送り
「私は、大好きだったよ。だから親の都合で引っ越す時に、地元の中学校を卒業できないって聞いた時は本当に悲しかった。今思えば引っ越した先の中学校で卒業したって、同じ卒業なんだけどさ。その時は全然違うと思ったんだ」
「だから誰にも言わないで屋上に行った。月がすごくきれいで、その時さ、なんでか『もう同じ月は見れない』って思っちゃったんだ。涙が出てきてね、もうそうするしかなかったんだ」
「だから私は、今でもこの校舎にいるよ、みんなに会えて、うれしかった」
 テープはそこで終わった。ざらついた薄闇の中で、あのこが笑っていた。