絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

雑談。

 友人「チャットか何かでお話ししてみたい衝動にかられました。だって」
麻草「マジで?超うれしいんだけど、ピアノ・ファイアさんじゃん、読んでる読んでる」
 友人「うわ、キモ、自重」
麻草「おぼえたばっかのニコ語使うなよ、それで?ピアノさん、何て?」
 友人「いずみのさんだろ、えとね『『方丈記』の冒頭にある「ゆく河は絶えず、しかも元の水にあらず」にかけて「河を流れる水と、水を流す河は違う」という言葉で自分の場合は表現しています』ってさ」
麻草「いい言葉だねえ、まさにそのとおり、表現の多層性がマンガの魅力ではあるんだけど、それを一度解体してみよう、というのが私たちの提案なのではないですか。いずみのさんは、コマの内部にある位置関係などでそれをやっていて、私は絵自体でそれをやっている、って感じなのかな。いずみのさんも書いている通り、コマ間の分析は夏目せんせえがみっちりやってしまっているのですよね。あと右と左に関しては、舞台では上手(客席から見て右)から下手(左)に風が吹く、なんてえことを申しますね、えらく昔から言われていることなんですが、私は」
 友人「ああうるさい、感想は別項でおやんなさい。チャットねえ、メッセでいいんじゃないの」
麻草「いや、私、今メッセ壊れてるんで、チャットの方が都合よいです。ところで右と左問題なんですが、左脳に言語野があることから…」
 友人「トンデモ入ってきたな、ええと、あ、いずみのさんって『ユリイカ 2006年1月号 特集*マンガ批評の最前線』に寄稿してるらしいよ」
麻草「……」
 友人「どうしたの?おなか痛いの?」
麻草「おれに近づくなぁぁぁあぁああああっ!ってんじゃなくてさ、ユリイカ!なあ!てめえこのやろう!ユリイカ!」
 友人「どこ向かって叫んでるの、吉田アミ
麻草「どっちかって言うと、虚空? 何でもないです、えーと、キモい反応ですみません。チャット、対談、原稿のお誘いなどございましたらいつでも」