絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

頭の良さ、という価値基準〜バカと思われたくないあなたのための〜

「はまる人」には心情というか心理として以下のような傾向があるのではないか。

  • 一見怪しいように見えるところに真実がある、と思っている(サルトル言うところの不透明性への憧憬みたいな)
  • 「一見怪しい」ということで世間は遮断してしまっているが、それは間違いなのではないか、と思っている
  • 「世間が認める、当たり前の話」より「一見怪しいように見えるけど世間のほうが知らないだけの話で、それをあなただけに教えてあげる」ような話のほうが信用できる

秘芸ちょう「マルチにはまる」のは似非科学を信じる心理ともなんか似てるんじゃないか。

 うーんなるほど、確かにこの三つはわかりやすいし、もっともだとも思うけど、マルチにはまるひとが本当にこんなことを考えているんだろうか?という疑問は残る。
 私の知り合いが、マルチにはまっていたことがあるのだ。そのつてで、何人ものマルチ会員と知り合うことができた。知り合いは、今はすっかり憑き物が落ちたようにやめているけど、その落ち方は「え?マルチって何の話だっけ?」という落ち方なので、何の反省もしていないと思う。
 私の私見でしかないけれども、彼らがマルチにハマったのは、上記三つよりも簡単な理由だ。
 彼らは、マルチの集会で、こう言われたのである。
「このシステムに気づく君たちは、他の連中より頭がいいんだよ」
 マルチのシステムには、少し考えれば気づくような穴が沢山開いている。それは客商売に必要な「顧客フィルター」として機能する。その穴に気づけない奴こそ、マルチの顧客なのだ。
 そして、その穴に気づかない彼らは、日々劣等感に苛まれている。

あるパターン〜オタクとヤンキーの狭間で〜

 私が知り合った彼らは総じて、仕事や家庭などの日常を送る環境とは別の、遊びの環境を持っていた。インターネット、カメラ、車、バイク、アイドルのライブ、バンド、その他いろいろ。それらの遊びの環境には、それだけをやっている連中がいる。いわゆるオタクと呼ばれる種類の連中。オタクたちは「豊富な知識」と「考え方の方法」を駆使して彼らを差別する。そう、彼らはヤノタ(ヤンキー+オタク)と呼ばれ、頭が悪いというレッテルを貼られてしまう。
 でも、そのレッテルを貼られるのには、彼らの生活規範にも原因がある。

断絶することで継続を願うヤンキーの生活作法

 ヤンキーのコミュニケーション方法として、自分がいかにバカで思慮がないかを競うゲームがあるのをご存知か。彼らは難しい話になるとすぐ「わかんね」「知らね」「バッカじゃねーの(笑)」という反応をする。彼らが本当にそう思って言っているのではない。ただ「私は難しい問題に対して無遠慮な態度を取りますよ」と自己表明しているだけなのだ。
 それこそ、暴力を是とする彼らにとっては、最良のトラブル回避能力なのである。
 やがて、オタクの会合に来たヤノタは、別世界を見る。そこにいるオタクたちは、自分の知らない世界情勢やネットの話題、そして人間関係や専門技術について深い知識と洞察を持って語り合っているのだ。最初ヤノタは「こいつら頭がいい!」と思う。だが長年身についた技術は消えない、どうしても「自分はバカである」と表明してしまう。
 そしてオタクから「バカ」のレッテルを貼られてしまう。
 大変な劣等感と苦痛が、彼らを変貌させる。オタクにとっての処世術が「自分は頭が良いのである」と表明することであって「頭が良いこと」ではないとは気づかないまま、彼らは「頭の良さ」を求めだす。
 そこで、マルチのシステムを与えられた彼らはどうなるか。 

劣等感の解消法〜俺だってやればできるんだぜ〜

 マルチのシステムを与えられた彼らはこう表明し始めるのだ。
「自分は、マルチのシステムの素晴らしさに気づけるほど頭が良いのだ」
 そこには確かに「世間」に対する不信がある。だがその不信が求めるものは「世間が認めない、自分だけが知っている秘密」ではない。ただ「もっと大きな世間が認めるすばらしい話を知っている自分を小さな世間で認められたい」という欲求があるのだ。じゃないかな。たぶん。
 図にしてみよう。

 文字を入れ替えれば、これが誰にでも適用できることがわかると思う。私やあなただって、いつかどこかで劣等感を刺激されて、新しいことを知ろうと思ったり、あきらめたりしたのだ。知らないこと、わからない理屈に対する劣等感と、それを埋め合わせようとする欲求。それは脳に備わった当たり前の機能なのだ。
 だから「頭の良さに対する劣等感を刺激する商売は、バカに効く」なんて言葉がまかり通る。
 本当は、オールラウンドのバカなんて存在しない。そりゃまあ機能的にアレな場合はあるけれども、そういうバカと、マルチにハマって散々迷惑かけた挙句その事をすっかり忘れて「やっぱり信頼関係が大切だよ」とか言ったりするバカは違う。
 バカはいつだって局在的に発生する。バカバカを晒すバカタイミングがあって、そこでバカのちからをもった者はバカを晒すのだ。それを見て「あいつが○○を理解できないのはバカだから」と言うのは、それこそバカを晒すことになる。
 解決法は、なるべく他者の世界観を尊重すること、しかないだろう。
 ちくちくと、劣等感を刺激しながら。