絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

老猫殺し。

 中学二年の秋、美術部の友人が死にかけの老猫を拾った。家の前で雨に濡れて、顔は疥癬で腫れあがっていた。飼っていた犬が吠えたので気づいたのだそうだ。近所に住んでいるその友人は、慌てた様子で私に電話をかけてきた。
「手伝ってほしい、猫が死にそう」
 私が友人の家に着くと、猫はタオルで巻かれ、ダンボール箱に入れられていた。大柄な友人が、ずいぶんと小さくなってダンボールの横に座っている。雨よけにたてかけたビニール傘からはみ出てたジャージの肩が、しっとりと濡れていた。
 友人が行きつけの動物病院まで五分。小柄な私が箱を持ち、友人が傘をさし、互いに軽口を叩きながら向かった。抱えたダンボール箱から体温が伝わってくる、猫はガリガリにやせているのに、重かった。
 飼っていたわけでもないんだけど、家の前で死なれたら寝覚めが悪いからさ、と友人が言った。私は友人が抱えている課題を思い出し、作業が遅れた良い言い訳になるじゃないかと応えた。
 医者は、道理のわかっていない私たちに、政治的に正しい言い方で、治療とその効果と猫が死んだらどう処置をすべきか、という話を続けた。私たちは突っ立ったまま、黙ってそれを聞いた。点滴、注射、そして疥癬の治療薬塗布。猫はほとんど動かなかった。
 あたらしい箱をもらい、猫を運んだ。点滴と注射の効果だろう、猫はぐうぐうと鳴き、手足を伸ばした、まるで寝ぼけた赤ん坊が布団の中で暴れているみたいだった。
 医者の指示通り、お湯を入れたペットボトルをタオルでくるんで入れた。保温効果を期待して、発泡スチロールを下に敷き、軒先に置いた。疥癬は人間にも伝染る、家の中には入れるなと医者が言った。
 夜に連絡をもらい、作業の手伝いという名目で友人の家へ向かった。猫は生きていた。友人は休憩がてら、私に経過を話した。
「三時間ごとにペットボトルのお湯を入れ替えると温度が一定に保たれるんだ、猫は動かないけど顔の腫れは引いてきたみたい、さっきタオルをかえたらノミがいっぱいついていて、それは薬が効いた証拠だと思うな」
 私は、ノミが逃げ出したのも腫れが引いてきたのも、猫の生活反応が消えてきたからじゃないかと思ったが、口にはできなかった。飼っていたわけでもない野良猫が死にそうだというだけで混乱してしまう友人の言葉を、うとましく思いながら、否定できなかった。
 翌日、学校に行き、昼過ぎに帰ると、猫は死んでいた。
 箱のフタを開けて中を見ると、猫は呼吸をしていないように見えた。私はタオル越しに猫を押したが、微動だにしなかった。もう、猫の身体は硬くなり始めていた。私の肩越しに見ていた友人は、何も言わずに私の肩に手を置いた。
「死んでる」と私は言った。
 小雨が手足にしみこんで、寒かった。ダンボールのフタを閉じると、友人は言った。
「猫は、迷惑だったかな、死ぬのを一日伸ばしただけだ」
「雨でびしょびしょに濡れて死ぬよりは、毛布にくるまれた方がいいよ」
「猫も、死ぬのは嫌だったかな、どうしてこうなったかとか、考えて」
「どうだろう、わからないな」
「いつか死ぬのに、なんで生きてるんだろう」
「自然現象にははじめから意味がない、流れる川は意味を問わない」
「でも人間は川じゃない、悲しい、牛を食べても悲しくないのに」
 友人が目に涙をためた、私も悲しい。
 見ず知らずの生命が失われて悲しいのはサイズとタイミングの問題だ。私はカやハエを自分の都合で殺す。公園で犬にかまれたネズミの死体を見た。カラスが道で車に轢かれてひらべったくなっている。その生命に思い入れができるのは、鮮烈な記憶があるか、感情移入できるサイズであるか、という点なのだ。私は死にそうな猫を見、その鳴き声を聞き、体温に触れて、その命が失われることを実感した。ネズミもカラスも死にたくはなかっただろう。けれど私が彼らの死に涙することはない、牛を食いながら泣くことができないように。
 町中に「死体」があふれている、だけど「死」はどこにもない。
 友人と私は一年前、いじめのターゲットだった。私は生意気だと上級生に目をつけられ、友人は愚鈍だと級友に笑われていた。私たちは美術部で知り合った。私は、友人がいじめに気づいていないことを知り、おどろいた。
「あれがいじめなのか、ただ性格が悪いだけかと思ってた」と友人は言った。
 しばらくして、私と友人が一緒に帰っていると、上級生の集団が絡んできた。私は友人と殴り合いをさせられる、という筋書きだったらしい。断ると、二人で上級生に殴られたり蹴られたりした。入学当時から私に目をつけて、何かと絡んできた上級生が、その集団のリーダーだった。私は突進した。何ごとかを叫んでいたかもしれない。とっくみあい、もみあっていると、まわりで笑って囃し立てる声が聞こえた。近所の知らない大人がやってきて、仲裁し、こともあろうに私と件の上級生に握手をさせた。上級生の手は小さく、冷たかった。
 それから、いじめのターゲットが変わった。件の上級生は私に歯向かわれたということで笑いものになった。私はいじめられなくなった、だが、いじめそのものがなくなったわけではなかった。クラスの愚鈍なものを愚鈍ではない皆が笑うとき、私も一緒になって笑った。私は残酷で、抜け目がなく、卑怯な集団の一員だった。
 二年間、まわりの誰も死ななかった。私は美術部に没頭し、クラスの人間と交流しなくなっていた。
 私は死を選ばなかった、それは私が強かったからでも、いじめが軽かったからでもない。私のやり方は、私にとって有効だった。ただそれだけのことだ。
 老猫を助けることもできず、私はずうずうしく生きる。いつか私が死にそうなときに、誰が毛布をかけてくれるだろうか?