絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

血飛沫映画。

 ミートボールマシーンという映画が公開されている。
 先に言うと、何も知らない観客として見た私が、無条件に感動できる映画ではなかった。まず、シナリオと演出の混乱(途中で監督が変わってしまったせいらしい)。そして、キャスティングの微妙さ。主演二人はいいのだが、脇が……手塚とおるが……まあいいや、あとで書く。
 とにかく、集中できない要素があまりに多すぎた。観終わった直後は携帯に演出に関する文句ばっかり書いていた。イライラとパンフをめくり、頭に入らないのでかばんの奥にしまった。帰ったら文句を書いてやる、そう思いながら劇場をあとにした。
 にも関わらず、帰り道、私は涙を流した。
 なぜならこの映画の本当の姿を、私は見逃していたからだ。
 世の中には、何も考えない人間が、何も考えない人間を集めて、何も考えないで適当に作った作品というものが存在する。そしてギャラ未払いのままプロデューサーが逃亡したりする(そして数年後普通の顔で仕事してたりする)(いつかぶっ殺してやる)(比喩表現であり実際には殺さない)。
 だが『MEATBALL MACHINE』は違う。参加した誰もが完成を願い、努力し、そして完成、公開させた。いや、別に知り合いとかじゃないけど、私にはわかるんだよ!そんなん見ればわかる!こんなすごいものが適当に作れるわけあるか!
 一生懸命やったって、報われないことはあるだろう。
 どんなに努力したって、誰も褒めてくれないことだってあるだろう。
 だから私は、この映画をオススメする。
 今日やらない奴が、明日やるわけがないんだ。
 これは「今日やった奴ら」の映画なのだ。
 http://meatballmachine.jp/
追記:
 手塚とおる:たぶん、彼は何もダメじゃない、だけどダメだった。それはきっと、私が好きだった十五年前の彼と、あまりに変わらない狂気の演技に私が呆れたからだろう。私は十五年前の私にダメ出しをしたのだ、だからそれをもって映画の良し悪しにしてはならんのだ。
 演出の混乱:私は映画脚本への文句として「人間が描けていない」というのは眉唾であり、うんこであると思っている。が、それ以前に脚本家が「人間を描かなければ」と思い込んでやしないか? と思うことがある。肉団子機械の場合は突然の告白である。キスはいつでも突然起こるのであるが、だからこそ、そーゆートラウマの吐露は突然起こってはならんのでは(つーか必要ない)? 直後のレイプを際立たせるためにも役者の演技は抑えておくべきでは?などと変なことを考えた。生身では人形のように振舞う彼らが肉団子機械をまとったとき、暴力は花開くのじゃないかとか。まあそれでは一時間半たっぷり血飛沫を出してればいいのか、という話になるんだが、私はその方がいいのになあと思ったりしました。で、その辺が監督の交代による混乱なのではないかなあと思ったわけです。(実際は一時間たっぷり血飛沫が出ます)