絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

下劣で殺伐とした世界に生きて。

「なんで人を殺して悪いのか?」と考えるのは非常に重要な問題である。それを「質問するのもおかしい!」などと叱り飛ばすのは傲慢な善人きどりのやることである。
http://d.hatena.ne.jp/./FUKAMACHI/20060731

 深町さんが憤怒されていた件について侍功夫さんが反応して、なぜかそこにおれの意見が引用されていたのだ!自慢です。

確か麻草さんは、『どうして人を殺してはいけないか?』と問うている時点で『人殺しはいけない』という前提を刷り込まれていて、自分なりの回答を持っている。その上で、言った相手を困らせたいだけという雨宮処凛じみた困ったちゃんな理由が煤けて見えてるから『うるせえバカ!ダメなもんはダメだ!黙ってしゃぶれ!』と一括するしかなく、本当に自分で納得する理由を自分なりに考える以外に答えは無いだろう。という様な事を言ってたと思う。(うろおぼえもいいとこなので文責はオレで)
http://d.hatena.ne.jp/./samurai_kung_fu/20060731#p1

 おおむねそんな感じです!なぜ殺してはいけないのかが本当にわからない奴は、もう殺してる。いや「わからない」ってのは変だな。むしろ「殺してもいいのだ」って思ってる奴は、そう思うだけの理由がある奴は、もうとっくに殺してるんですよ。
 あとは「殺さなければならないのだ」って状況もあるな。そんなの社会状況ひとつで決まるんだから「なんで今自分は人を殺していないのか」について考えた方がいいんじゃないか、とも思うわけです。

 殺さなければ殺すという状況になったときに、殺さずにいられるかどうか。その問いかけをできるようにしましょう、そして社会状況が殺す方向へ向かわないように努力しましょうというのが、いわゆる死なないためのシステムづくりという奴です。(引用注:法律とか倫理とか、社会維持用の理由。これがないとその社会は存続しないので、自然にそういうシステムのある社会が選択されていきます)
 ていうか、戦争だって相手が憎いからやるわけじゃない、土地や金が欲しいから殺すのです。ひとは殺したいときに殺したい相手を殺すのであります、何かと理由をつけてね。
http://d.hatena.ne.jp/./screammachine/20060227#p2

 おれは、あまりに運が良くて、殺されない人生を送ってきた。でもそれは偶然だ、たまたま、殺されるだけの理由がなかった、ただそれだけのことだ。おれはそれを割れた奥歯でかみしめる。おれ生きてる、すげえことだよ。
 だから空中キャンプで引用されていたこの文章は、ひどいと思う。

まことしやかな『真実もどき』はいくつでも並列して存在する。ただし、自殺OK、殺人OKなんて世界に住んだとしたら間違いなく心が荒んでしまうことだろう。せいぜいそのことを指摘するだけで十分である。我々はそんな下劣で殺伐とした世界で暮らしたくはないのだから

 もうなんかうんこばかである。自分は殺したり殺されたりしない世界で平和に一生を過ごせるとでも信じているのだろうか。いや、そうあるべく努力するのまでは否定しないよ、おれは死にたくないから。それに、おれだって、答えがわかっているくせに「なんで殺しちゃだめな〜ん?」と聞いていい気になってるバカには「自分で考えろ!」と怒鳴りつけたりもする。だけどそれは決して「当たり前のことを聞くな」と指摘しているわけじゃない。
 人が殺すのは、考える余裕がなくなったときだ。お前は目の前にショットガン突きつけられて、相手を殺せば自分が助かるという状況で「なぜ人は人を殺してはいけないのか」なんて考えられるとでも思っているのか?というときだ。
 考えることができない状況は、いくらでも想像できる。どれだけその状況に違いがあろうと、追いつめられた本人にとってはそんなの些細な問題だ。ゴーサインが出たとき、それが殺すときなのである。だからこそ考える余裕があるときに考えておかないといかんのではないだろうか。なぜ殺してはいけないのか、なぜ殺してもいいのか。
 ああ、てことはだね、件の「人が人を殺してはいけない、というのは当たり前だからそれについて考えるな」という言葉はつまり、考えるのをやめるってことだから、殺すのと同じってことだね。おれはそんな自分のケツも拭けないような奴がいる、下劣で殺伐とした世界で暮らすのが好きだなあ。だっておれたちは殺しあうまえにこうやって考えて書くことができるんだからね。