絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

目で音を聴く。

 スピーカーの上に板を置いて、その上に塩かなんかふって、ピーッて音程をあげてくと模様ができる、という映像。
http://www.youtube.com/watch?v=Zkox6niJ1Wc
http://youtube-105.vo.llnwd.net/d1/01/C5/Zkox6niJ1Wc.flv
 目や耳というのは、手と同じ外部感覚器官なので、乱暴に言うと互換性がある。脳はそれらの器官から入ってくる情報を、整理しやすいように分類する。映像なら「これは四角い」「これは丸い」「手前から奥に伸びている」と分類するし、音なら「遠くか近くか」「前後左右」「高いか低いか」を分類する。
 こうやって文字に書くとわかりやすいな、音も光も感覚器官にとっては同じ「波」なのだね。波長の高低と強弱で、おれらは自分のまわりに何があるのかを知るのだ。脳は頭蓋骨の中で、世界ってこんなんかな、と想像している。それをおれたちは世界の姿だと思っている。
 つまり、映像にあるとおり音はそういう形をしているが、おれたちの脳は耳から入った音を映像に変換してくれないだけなのだ。
 強烈な印象を与える絵画には音を感じるし、音楽から映像を想起することもある。すごく単純なたとえ話だと思ってほしいけど、うまいとか下手ってのは技術の上にそうゆう感覚を呼び覚ますことができるってことなんだと思う。だからって波形をそのまま絵にしてもそれは美しくはないし、ピーッて音には何も感じられないんだけど。いや、宗教系のダンダラ模様とか、ラリと神秘体験はやっぱつながってんだな。こうゆう映像を見ると、そういうたとえ話をしたくなるってだけの話なので、絵を描いたり音楽やってるひとはそっちに行かないでね。技術ありきですよ。
 余談だけど(って言ったら全部余談なんだけどさ)、インチキな偽科学グッズでよく波動なんたらとかゆってるやつ、あれは視線とか気配みたいに、人間が直感的に感じるような気がするものに似ているから、信じるひとがいるんだろうね。
 視線とか気配ってのは、別の器官から入った情報が脳内でまた別の感覚に翻訳されて起こる感覚だ。実際に目から何か光線が出ていてそれを皮膚で感じるわけでも、科学的に検出できない「気」とかいうものが体から発せられているわけでもない。
 脳ってのは誤作動をよく起こすうえに記憶の完全再生ができないので補正がきかない、っていうか補正きかせたせいで正しくない画面を見せたりするので気をつけよう。