絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

同じことを何度も訊かれるのはなぜか。

「どうしてこんなのが売れるわけ?」

 今日もベストセラーの棚には凡庸な本が並んでいる。うちのボスはそれを見ておれに訊く。「どうしてこんなのが売れてるわけ?」おれはそれらの本に合わせて売れている理由を考え説明するが、ボスは納得しない。いちおう「へえ、そうか」とは言うが、後日違う本に対して同じ質問をする。
「どうしてこんなのが売れるわけ?」
 バカかこいつは、と思うが、バカではない。ボスは単に「この前売れていた本が売れている理由は理解した、しかしこの本が売れている理由は何だ?」と訊いているだけなのだ。
「こんな本は文盲が買ってるだけですよ」
「普段本を読まない層にアピールしているんですね」
 そんな感想は誰にだって言える、もはや分析ですらない印象に過ぎない感想。社長が求めているのはそんな思考停止の呪文ではない、目の前にあるこの本が売れているその理由だ。おれは考える、なぜこの本は何十万部も売れたのか?なぜこの本が年間トップ10に入るのか?ほんとうにこの本は売れているのか?
 知人に同じような質問を何度もされてうんざりしているひとは、省みてほしい、あなたは聞かれた質問にちゃんと答えているだろうか?相手の疑問を理解せず、頭ごなしに回答を与えてはいないだろうか?なんにでも使える魔法の言葉で楽をしてはいないだろうか?
 ほんとうの正論とは、感動を導き出すものだ。

「正論」はアプリオリに「正論」なんじゃなくて、人の感情を揺さぶって、変化をもたらすようなものが事後的に「正論」になるんじゃないかな。
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 考えなければ正論は導き出せない。考えるというのは、頭の中にある物事をつなげて、新しい答えを見つけることだ。すでに決まった答えを抱えて、どんな質問にもそれをぶつけるようでは、物知りには見えるかもしれないが、頭が悪いのは丸わかりなのである。
 同じことを何度も訊かれるのは、ちゃんと答えを考えていないからだ。
 頭の悪いおれたちは、考えるのに時間がたくさん必要だが、その手間を惜しんではいけないのである。それに気付いてからおれは、ボスの質問に「それはですね」と即答するのをやめた。それからしばらくして、ボスはおれに訊いた。
「この本売れてるけど、どうせ読んでるのは普段本を読まない奴なんだろう?」
 さて、おれは何と答えただろうか?そしてあなたは、何と答えるだろうか?