絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ついカッとならないために。

 どうにも怒りっぽくて、気に障ることがあると、ついカッとなってしまうのだけど、今日みたいな雨の日は何もやる気がしないのでカッとならない。数年前に交通事故で頭蓋骨を割ってから、めまいが治らないのだ。晴れて気分がよく、仕事をやる気になっている日ほど、感覚が鋭敏になっていて、ついカッとなりがちなので、カッとならないで仕事だけうまくやりたいなあ、なんてことをボンヤリと思う。雨の日は。
 まあそれは各自勝手にがんばるとして、はてなブックマークの話をしよう。はてなブックマーク(以下はてブ)というのは、その「カッとなる」を押さえる機能があるように思う。もちろんそれは「ぼくにとって」なんだけれども。
 日記やコメント欄と違って、はてブには「本当にそれでいいのか?」という確認作業がある*1。相手がはてなダイアリーを使っていて、しかもブックマークボタンを装備していても「ボタンを押す、コメントを記入する」という2ステップの確認作業がある。これが他のブログであった場合は「当該エントリの個別URLを表示させる」が加わって3ステップ。冷静さを取り戻すには、充分すぎるステップ数だろう。
 現実にはなかなか適用しづらいが、カッとなったときにそのことを思い出せるといい。
 まあそんなようなことを新井英樹のマンガ「キーチ!」を読みかえして考えたのだ。このマンガの中に「怒るしか能のない少年」が「賢しい少年」の賢しさに驚き、怒る前にやるべきことがあるのだ、と気づくシーンがある。何が目的なのか、それを確認することで、本当に戦うべき敵が見つかるのだ、という一連の流れを象徴する、とてもすがすがしいシーンだ。
 で、さいごにぜんぜん関係ないわけでもないことを書こう。知り合いに教えてもらった日記にちょっと気になる誤解があったから。

「まともな神経を持った人は自分のことを"孤独な散歩者"などと言わない」と何処かに書かれていたのを見たのだが、それならジャン・ジャック・ルソーはまともな神経を持っていなかったのであろうか?
http://d.hatena.ne.jp/jituzon/20051017#uumu

 ルソーがまともな神経持っていたとは思わないけど(まともって何よ)、その文章を書いたひとは「ルソーに自分をたとえるとはまともな神経ではない」と書きたかったのではないかなあ。よく知らなくもなく、どうでもいいことでもなかったので書いてみた。カッとなったわけではなくて、単に「ルソーを知らない」という解釈は間違いではないかと思ったからだ。
 じゃあ過去の偉人に自分をたとえるのはまともではないのか、という問いには「それがまともとされる世界もある」と答えよう。そう、おれが戦うべきはその「それがまともとされる世界」なのであってid:jituzonさんではないのである。
 雨やまないかなあ。

*1:もちろん日記にはプレビュー機能があるが、カッとなっているときにそんなものを押すわけがない