絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

テキストサイト脳

 さようならテキストサイトオフ会というのに行きました。
 参加者と詳細はことこさんが詳しく書かれております。
id:kotoko:20051009
 ぼくは二次会からの参加だったので、テキストサイトの話を思う存分して(聞いて)きたわけです。まあ、同窓会のようなものです。○○先生今なにやってんの?え?まだ体育担当してんの!元気だねえ。みたいな感じ。クネクネです。
 それで、いろいろ話していて思ったのですけれども、テキストサイトばっかり見ていると馬鹿になる。「テキストサイト脳」というのは確実にあります。もちろんゲーム脳みたいなトンデモ(疑似科学)ではなくて、単にインプット/アウトプットの問題として。会話の中で使える情報の種類が偏るということは絶対にある。
 これは、携帯電話やメールなどの道具を使うことで、脳や精神に変化がなくとも、実際の行動には影響が出るのと同じことです。たとえば日頃から「人間と人間は実際に会って話し合えばわかりあえる」とう信念を持っているひとだって、緊急の用であれば携帯電話を使う。
 公衆電話を探す、手紙を書く、会いに行くという「行動」を、省略するのであります。だって緊急だからね。
 だからといって、このひとを「メール脳」と批判することはできない。「あるから使う」のと「なければ生きていけない」のは違うから。
 言葉や思考方法の場合は、すこしやっかいです。これらは精神活動と密接につながっているから、分離して考えるのがとても難しい。テレビでバラエティ番組ばかり見ていれば、バラエティ番組的な単語でバラエティ番組的に喋るのが日常化するでしょう。そしてバラエティ番組的な思考法で周囲を見渡すことになる。「あ、いまボケたな」「ああ、つかみそこねた」「お、ウケたぞ」「○○さん細かいとこひろってくなあ」何様だ、ディレクターかお前は、って話ですよ。
 だけどこれは、脳や精神が不可逆変化を起こしたわけではありませんね。じっさいの行動に影響が出ていても、それは単に、それしかインプットがないから、アウトプットが変化しているだけなんです。
 テレビばっか見てたら馬鹿になるし、教科書ばっか見てても馬鹿になる。一種類の情報しかインプットしなければ、馬鹿になるのは当然です。馬鹿というのが「状況の変化に対して読解力のない奴」という意味だと思えば、筋も通ります。というわけで「○○ばっか見てる奴は馬鹿になる」というのは、○○に入るのが何であれ、真理であります。
 科学的なものの見方をしているから、心のなぐさめとしての宗教が必要なく思えてしまう。というのも馬鹿。
 信心が念頭にあるから科学と宗教の区別がつかない。というのも馬鹿。
 より多くの考え方を知るためにも、テキストサイトやブログだけではなく、たくさんの本を読んだり、考えたりしたいものですね。
 こういう文章をアウトプットするのを「仕事したくない脳」といいます。