絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

情報はどのようにコピペされ広まっていくのか。

id:dogplanet:20050820:p1に書いてあった

当時の辞書をそのまま書き写した辞書が後世に残っている場合もあるので、実は歴史上信じられている人物の中には完全に創作の実在しない人物がまぎれているとか、いないとか。

 から、寺山修司の名を連想しました。捏造といえば寺山。そういえば、ぼくは以前、彼にあらぬ疑いをかけたことがあります。
「ポケットに名言を」という本の中で紹介されたこの一文。

もし世界の終りが明日だとしても、私は今日林檎の種子をまくだろう。

 発言者の名前はゲオルグ・ゲオルギウ。聞いたことがありません、インターネットで調べても、日本語による上記の本の引用しか出てこない。そこでぼくは思いました、もしかしたらこれはもしかするぞと。寺山、やっちゃいましたかと。
 ところが、しばらくして古本屋の目録を見ると、そこにゲオルグの名があったのです。何だこれは、寺山の捏造ではなかったのか。さっそく注文するおれ。『第二のチャンス』というその本は、今は押入れの段ボール箱の中なので詳細は後日記するが、まあなんというか、つうか眠いので続きはまた今度書く。

続き
 いやいや、インターネットは素晴らしい。
 現時点でわかっていることを書きます。まず一番古い発言者は聖ゲオルギウス、次にマルティン・ルター、そして(不確かながら)ジャン=ジャック・ルソー

議会が処分を決定する前にルターはヴォルムスを離れ、その途上で消息を絶ったように見せかけて、フリードリヒの元に逃げ込み、ヴァルトブルグ城にかくまわれた。1521年5月25日にカール5世の名前で発布されたヴォルムス勅令はルターをドイツ国内において法律の保護の外に置くことを通告し、異端者としてルターの著作の所持を禁止した。
ルターはそこで「ユンカー・イェルク」(騎士ゲオルグ)の偽名を用いて一年余りをすごした。ここでの生活は時として精神的な試練であったとルターは言っている。しかし、ルターはそこで十分に思索と著述に専念することができた。
ウィキペディア マルティン・ルターの項より引用

* 『告白』(Les Confessions) (posthume) (1766年頃執筆)
 マリー・アントワネットが言ったといわれる「パンが無ければお菓子(またはケーキまたはクロワッサン)を食べればいいじゃない」の台詞が良く知られているが、(原文は「Qu'ils mangent de la brioche」、訳せば、彼らにはブリオッシュを食べさせなさい)これは、告白録の第六巻に、ルソーがワインを飲もうとしたとき、パンがないとワインが飲めないので、パンを探したのだが、なかった。そのとき、ルソーは、ふっと「農民にはパンがありません」といわれて、「それならブリオッシュを食べればよい」とさる大公婦人が、答えたことを思い出したという記事が原典であるといわれている。それは、ルソーが新しい愛人が出来たヴァラン夫人と気まずくなって、マブリ家に家庭教師として行っていた時代1740年頃、であるらしい。
ウィキペディア ジャン=ジャック・ルソー

 というわけで、ルターが潜伏期に騎士ゲオルグの名を借りていたことから、ルターの言葉として広まりながらもゲオルギウス発言説が消えない理由が推測できそうです。
 ルソーに関しては、マリーアントワネットの有名な逸話のモトネタを書いた人物として、意図せずして「コピペされ、広まる情報」を作り出す能力に長けていたのではないか?との憶測を立てました。
 情報はどのようにコピペされ、広まっていくのか。
 なんにせよ『孤独な散歩者の夢想』を読まないと話が進まないようです。こりゃ大仕事になりそうだ。

 あ、ちなみに『第二のチャンス』を書いたゲオルギウと、ルーマニアの革命家ゲオルグ・ゲオルギウについてはまだ調べ中です。寺山の『ポケットに名言を』も読み直さなきゃいけません、どうやら「明日世界が〜」の発言者がルーマニアの革命家になっているらしいのです。