絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

肛門から舌が

 友達がそういう夢を見たと日記で書いていたので、天竺浪人せんせいの『ワイルドフラワー』を思い出した。このマンガの中には、糞の味が大好きで、いつでも糞を味わっていたい欲求が昂じて、舌が肛門に移動してしまった女の話が出てくる。
 スカトロの趣味はないが、糞の匂い自体は嫌いではない。街中で糞の匂いを嗅いで不快になるのは、誰がひりだしたのかもわからない糞の匂いだからだ。匂いというのは、その物の分解した一部なのだから、街中で糞の匂いを嗅ぐということは、誰か知らない奴の糞を鼻につけて歩いているのと同じなのである。
 世の中には「食糞とは、食人と同じく愛の変形である」という解釈もある。糞の成分は大半が内臓で繁殖した細菌の屍骸と、内臓粘膜の垢だ。体内で生産された汚物を食することに、至上の愛を見出すというわけらしい。
 だがしかし、ぼくは、この解釈に違和感を感じる。例によっての、何にでも当てはまる安易な分類に見えるからだ。
 糞には、糞にしかない魅力があるのではないか。
 『ワイルドフラワー』における糞は、愛の比喩でも何でもない、ただの糞だ。だからこそ気高く、そして悪臭を放つ。作品内で描写される糞の味、その刺激、熱による湯気。それらは糞とそれにまつわる行為の魅力を余すことなくぼくに伝えてくれる。
 というわけで、はやく友達の舌が肛門に移動したらいいのにな、と思いましたおわり。
 などと書いていたら、下痢便がじゃーじゃー出て、何もできません。バチがあたったか、糞愛好へのイニシエーションが行われているのかもしれません。もうすぐ舌が直腸を通過するのでしょうか。負けるものか、絶対に食糞家にはならないぞ。ていうか飲糞家ですね、下痢だから。(食事中にほんとすみませんねえ)
まァ、関節が痛くて、熱があるので、風邪かもしれません。