絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

くらげの時間軸

まえに書いた文章を読んで、脳を活性化させてみよう、というこころみ。

打ち直している時はその単語を何度も何度も頭の中で繰り返しているのです。困ったなあ、前の方を読み返せないからちっとも話が前に進まない、アレ?前?後ろ?言葉はメモ帳を使って打っているので右に進んでいるのだけど、上、既に書かれた文章は上に蓄積されていくのだなあ、これは昔時間の概念を考えていた事につながった、人間の時間感覚が前と後ろに分かれている、むしろ前から後ろに去っていくという風に認識されるのは、僕らの感覚器官が前を向いているからで<中略>脊椎動物の多くは、というかほとんどは感覚器官が進行方向を向いていて、脳が肥大した人間だけが言葉で「時間」なんつってわかってるような顔をしているけれど、これがもしアレだ、前も後ろもないような生物、例えばクラゲだったなら、時間はどう進むのか、という事を昔ふと考えた、すぐに出た結論、クラゲは上下の時間間隔を持っている。おそらく単体のクラゲとして活動できるようになる為に、なんだ、植物みたいな状態から、分裂して単体になる時に下に向かって別れていくので、上が過去、下が未来。くらげは。という事でテキストは右が未来で左が過去。あるいは上が過去で下が未来。僕らの未来は右下にある。
http://screammachine.web.infoseek.co.jp/sm/txtplay.htmlより

 映画がぼくにとって特殊な媒体であり続けるのは「時間は進むけど空間は一歩もそこから動かない」からではないか。
 本ならページが進む、コーヒーは減る、煙草は燃える。ただフィルムの影だけは、変化する状況を映し出しながら、動かない(ぼくたちは回るリールを観に映画館に行くわけじゃない)。あ、でもレコードはまわる盤面を見るためにまわすわけじゃないな、耳に入る空気の震動はレコードそのものではない。
 記録媒体というもの、文字とその他には、何かくらげと人間レベルの違いがあるように思える。もちろんどちらが上ということはない。違うというだけだ。
 人間が、未来を前、過去を後ろと考え、方向のある終点を求めるかぎり、方向のないもの、方向を指し示さないもの、結論のないものは、あまり多くの状況で求められることはないだろう。